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東日本大震災後の10年、映画の力を信じ続けた人々【特集】

映画で何ができるのか

 本企画は2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに生まれました。あの頃、誰もがテレビで流れる被災地の光景を見て自分が力になれることはないか? と自問しました。特に映画を含めたエンターテインメント業界は自粛を求められ、無力さを痛感した人も多かったと思います。それでも映画の力を信じて向き合ってきた人たちがいます。彼らの10年の軌跡と、そして彼らから見た10年の変化を語っていただきました。(取材・文:中山治美)

1.映画館のない地域で無料上映会を続けること延べ900回
2.地元テレビ局の責任と使命を問い続ける
3.情報弱者を出さないために…耳のきこえない人たちから見た社会の変化
4.「作品」を通して、震災を語り継ぐ試み

1.映画館のない地域で無料上映会を続けること延べ900回

集会所
陸前高田市下和野団地集会所での無料巡回上映会の様子。(写真提供:櫛桁一則)

 櫛桁一則さんは全国でも珍しい、市民活動によって生まれた映画の生活協同組合「みやこ映画生協」(岩手県宮古市)の理事として、地域での無料上映会活動を行っている。東日本大震災以降、学校や避難所、仮設住宅の集会所などで開催すること延べ900回。その功績がたたえられ、2016年には第70回毎日映画コンクールで特別賞が授与された。

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櫛桁一則
第70回毎日映画コンクールで特別賞を受賞した櫛桁一則さん。(撮影:中山治美)

 「宮古や釜石はもちろん、野田村(岩手県九戸郡)や盛岡、それから災害公営住宅のある北上まで。ただでさえ岩手県は広いのに、ほぼ全域を回っていますね。(復興・被災者支援事業などの)さまざまな補助金を得て成立している事業なので、申請が認可されて活動が始まるのが例年7月から。その頃はほぼ毎日活動しています」(櫛桁さん)

シネマ・デ・アエル
酒蔵をリノベーションした文化複合施設シネマ・デ・アエル。(写真提供:櫛桁一則)

 震災当時、櫛桁さんは三陸沿岸唯一の映画館「みやこシネマリーン」の支配人だった。沿岸部の宮古市も甚大な被害を受けたが、自身も映画館も無事。加えて市民からも上映を待ち望む声があり、市内のライフラインが復旧した2週間後に営業を再開させた。上映作品は『映画ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 ~はばたけ 天使たち~』(2011)と『相棒-劇場版II- 警視庁占拠!特命係の一番長い夜』(2010)。つかの間でも現実を忘れたいという人たちが映画館に駆けつけたという。しかし多くの人が自家用車を津波で流されるなど移動手段がなく、映画館に来られる人は限られている。ならばこちらから映画を届けに行こうと、5月から移動巡回上映を始めた。

シネマ・デ・アエル
趣あるシネマ・デ・アエルでは定例の映画上映のほかライブなども行われる。(写真提供:櫛桁一則)

 「迷いはなかったです。被災地のど真ん中で映画館の仕事をしているわたしが、今、何ができるのか? を考えたら、映画しかない。まずは子どもたちのことを中心に考えて学校を回ったのですが、大喜びで盛り上がってくれました」(櫛桁さん)

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映画上映の目的は?

釜石PIT
釜石での上映会の拠点はライブエンタテインメント専用シアター「チームスマイル/釜石PIT(ピット)」。櫛桁さんは、24時間テレビ「愛は地球を救う」の支援で贈られた軽ワンボックスカーで上映に駆け付ける。(写真提供:櫛桁一則)

 映画の上映は心の復興だけが目的ではない。平成30年度に岩手県が実施した「NPO等の「絆力(きずなりょく)」を活かした復興・被災者支援事業」では、「映像文化によるコミュニティ形成事業」として助成を受けている。

 「この10年の間に被災者の多くは、避難所から仮設住宅へ、さらに復興公営住宅へと転居を余儀なくされた。せっかく何年か同じ地域に住んで顔と名前を覚えたのに、抽選で移転先が決まって、また一から人間関係を作っていかなければならない。その交流の場として地域の集会所での映画上映会は必要だと思うんです」(櫛桁さん)

大友啓史
岩手出身の大友啓史監督(左)も地元の復興に尽力しており、櫛桁さんと協働している。(写真提供:櫛桁一則)

 一方でみやこシネマリーンは観客が戻らず、2016年9月25日に常設館としての営業を終了するに至った。それでも“映画を届けること”を継続しているのは、巡回上映で得た確信があったからだという。

 「やはりみんな映画が好きだし、届ければ喜んでくれて、定期的に訪れているから活動が根付いてきたことを実感します。常設館で新作を上映することはできなくとも、みやこ映画生協という法人は残っていますので、そこで終わりにしようとは思いませんでした」(櫛桁さん)

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後継者の育成にも力を入れる

吉里吉里 海と森の映画際
大槌町の吉里吉里海岸で行われた「吉里吉里 海と森の映画際」の様子。(写真提供:櫛桁一則)

 近年は「映像アートマネージャー養成講座」や「上映者育成ワークショップ」と銘打った事業を通じて、後継者の育成にも力を入れている。

 「震災後、ボランティアでやってきてそのまま移住したとか、地域おこし協力隊のような形でこちらに来られた方が増えました。そういう方は都会で映画を自由に観られる環境にいたのに、こちらに来るとそれができないことを嘆いていた。そこでわたしたちが映画上映会のボランティアをやってみませんか? と声をかけると、“こういう活動をやってみたかった”と集まってくれたり、“こうしてみんなで交流できる場が必要だね”と言ってくれる。今、岩手では盛岡、北上、一関と内陸の国道4号線沿いにしか映画館がなくて、この先(人口減少が著しい)沿岸部で映画館が作られることはまずないですね。これは岩手に限った話ではなく、全国の問題でもあるのですが、もう映画館は都会にあるものでしかない。かといって、スクリーン体験の場や、文化そのものがなくなるのは寂しい。だから映画館がなくとも、地域で半年に1回でも映画の上映会を行ってほしいと思っているので、こちらが持っているノウハウを伝えています。すでに自分たちの手で上映会を行っている方もいます」(櫛桁さん)

 新たな活動拠点も作った。宮古市の文化複合施設シネマ・デ・アエルは、みやこシネマリーンが育んできた文化を継承・拡大することを目的に2016年9月にオープンさせた。藩政時代から続く商家・東屋の酒蔵を、櫛桁さんら有志がセルフリノベーションした建物だ。館名が示している通り「映画で逢える、映画と出会う。」がキャッチフレーズで、月一回の定例上映のほかライブやイベントも行われている。ほか、元の主戦場みやこシネマリーンをメイン会場に街なかの特設会場で心温まる映画を上映する「みやこほっこり映画祭」、宮古同様に映画館のない釜石市の映画を通じた心の復興と映画文化の再生を目指した「釜石てっぱん映画祭」、岩手ゆかりの映像作品を集めて盛岡をはじめ6地域をキャラバンする「ジモトエイゾウサイ」、大槌町の吉里吉里海岸で行われる「吉里吉里 海と森の映画祭」も実施し、都会では味わえない映画文化を育んでいる。しかし懸念があるという。

災害公営住宅集会所での上映会
地域交流に一役! 山田町織笠災害公営住宅集会所で行われた上映会では、参加者の会話が弾んだ。(写真提供:櫛桁一則)

 「今は復興関連の助成金を得ているので運営できていますが、それも年々なくなってきていますし、10年で一旦様子を見るという声も聞こえてきます。そもそも助成金が下りたとしても、単年度の申請なので次があるかわからない。助成金頼りになるのは良くないとも思うのですが、運営的には常に厳しく、それがないと成り立たない状態です。せっかく新たな担い手にノウハウを伝えても、自主上映というと“映画好きが自分たちの好きなことをやっているだけでしょ?”と思われがち。映画上映料も会場費もポスター制作費も準備しなければならず、赤字が出たら自分たちで補てんです。好きだけでは続けていけない現実があります。文化を届ける重要な機会として行政が少しでも支援してくれたらと思っています」(櫛桁さん)

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2.地元テレビ局の責任と使命を問い続ける
3.情報弱者を出さないために…耳のきこえない人たちから見た社会の変化
4.「作品」を通して、震災を語り継ぐ試み

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