東日本大震災後の10年、映画の力を信じ続けた人々【特集】(2/4)
映画で何ができるのか
1.映画館のない地域で無料上映会を続けること延べ900回
2.地元テレビ局の責任と使命を問い続ける
3.情報弱者を出さないために…耳のきこえない人たちから見た社会の変化
4.「作品」を通して、震災を語り継ぐ試み
2.地元テレビ局の責任と使命を問い続ける
テレビ岩手が、地元のテレビ局として東日本大震災に向き合い続けた10年間をまとめた記録映画『たゆたえども沈まず』が、東北で先行公開中だ。この時期、テレビでは震災関連番組が相次ぎ、テレビ岩手でも取り組んでいるが、なぜ映画なのか? 岩手の酪農一家を24年に渡り取材したドキュメンタリー映画『山懐に抱かれて』(2019)に続き、本作の監督を務めたテレビ岩手シニア報道主幹兼コンテンツ戦略室長の遠藤隆が経緯を語る。
「震災から10年経って、何かまとまったものを映画として残そうという話から始まりました。映画にするなら、テレビではできないことをと考えた時、津波の映像をきちんと使って、教材として学校教育や今後のために生かせるものをと思いました」(遠藤監督)
震災当時、遠藤監督は報道部長として取材に奔走する記者たちの陣頭指揮を執っていたという。何を報じるべきかの価値判断を日々求められる中、2か月経った頃、視聴者から「津波の映像を流さないでほしい」という要望が局に届くようになったという。テレビという媒体は、本人の意思に関わらず見たくない映像が目に飛び込んできてしまう。社内外での協議の結果、津波映像の放送を抑制していくことに決めた。今、テレビでその映像を流す場合は「これから津波の映像が流れます」という注意喚起のテロップが流れるのが常識となったが、その先駆けとなる決断だった。
「映画はお金を払っていただいて、観客が主体的に観るわけですから、そこではきちっと真実の映像を、しかも長尺で観せられるのではないかと思いました。2004年のスマトラ島沖地震は、お茶の間に初めて飛び込んできた津波映像だったと思うのですが、それがわたしたち報道機関にとっても勉強になりましたし、津波の映像であの恐怖を知るのはすごく大事なことだと思うんです。東日本大震災でも釜石市の映像が象徴的なのですが、地震自体の被害はあまり大きくなかった。「良かったね」「助かったね」と近所の人と語り合っているうちに、津波がやってきた。三陸沿岸は地震から津波到達まで約30分の時差があったから逃げられるんです。そういうことも映画だから伝えられると思っています」(遠藤監督)
津波から逃げながら撮影した貴重な記録
同局では、三陸地方が1960年のチリ地震をはじめ歴史上何度も津波被害を受けてきたことから定期的に緊急報道訓練を実施していたという。
「報道の使命はいろいろありますが、われわれにとって津波災害は何があっても一番の報道。そのためにメディアがあると言っても過言ではないと思っています」(遠藤監督)
あの日も地震発生から5分後には通常の番組を全部止めて緊急放送に切り替え、大津波警報が出ていたことから宮古市沿岸部に向けて設置したライブカメラの映像を放映したという。しかし津波が来るやカメラ自体が水をかぶってしまい、10分ほどしか流せなかった。しかし支局員や、たまたま沿岸部で取材していた記者たちが、高台に避難しながらカメラを回していた。これが本作でも使用されている貴重な記録であり、同局の財産だ。
「映画の冒頭にあえてその記者のレポートを使っていますが、それなりに場数を踏んでいる中堅どころの記者が、津波の大きさに彼ら自身が打ちひしがれているのがわかります。また釜石支局の柳田(慎也)くんは、お母さんを津波で亡くしたのですが、彼自身も着の身着のまま逃げたそうです。しかし柳田くんとは13日になるまで全く連絡がつかず、行方不明となっていました。居ても立っても居られなくなった技術局長が車で現地に向かって方々を探し回って見つけ出し、盛岡の本社まで連れて帰ってきました。その時、映画にも使っている逃げながら撮った映像を放送したのですが、かなりの衝撃を受けました」(遠藤監督)
復興を進める街やそこで生活する人たちを記録し続けた
以降同局は、地元ローカル局として街の変容や、復興に向けて力強く歩んでいる人たちを記録し続けた。10年間で撮り続けた映像は、約1,850時間。その中の一つが震災直後から約3か月間、報道・情報番組で流し続けた「安否ビデオメッセージ」。映画ではビデオメッセージに登場した約950人のうちの10人の現在も追った。これが想像以上の難作業だったという。
「住所がわかりそうな方を中心に回ったのですが、度重なる引っ越しや亡くなった方もおり、なかなか見つからない。大槌町は震災から人口が3割減っているのですが、著しい人口流出と過疎化を実感します。またコロナ禍での取材の難しさもありました。岩手の中でも地域差があって盛岡ナンバーの車は警戒されるのですが、ご家族から取材を遠慮してほしいと断られたこと例もありました」(遠藤監督)
毎年同じ場所、同じ角度で撮影して、街の復興状況を見つめた60か所に及ぶ定点観測撮影映像も地の利を生かした取材活動の一環だ。実はこの2つの企画は、震災時に応援に来てくれた大阪・読売テレビの、阪神・淡路大震災取材の経験と教訓が生かされているという。
「おそらくテレビ岩手が一番早く安否ビデオメッセージを放送し始めたと思うのですが、読売テレビのスタッフからの“大災害の時は亡くなった方の名前より、生きている方の名前の方が大事なんだ”というアドバイスがあったからなのです。将来を見据えた定点観測撮影の重要性も、“テレビ岩手さんが忙しいから”と、撮るべき場所を決めて教えてくれた。その後、各地で災害が起こった時はわれわれが系列局の応援に行っています。そうして震災報道のノウハウが受け継がれています」(遠藤監督)
復興中の街にコロナ禍が追い討ちをかけた
今後も地元局が追うべきテーマは多々ある。震災後の人口の流出、沿岸部の漁業の減少。さらには国土交通省が進めている復興道路・復興支援道路はまもなく全線開通予定だが、その事業で回っていた県内の経済も終わりを迎える。その道路が開通したことによって、今までの道路の交通量が減り、路面店の閉店が相次いでいるという。そこにコロナ禍が追い討ちをかけた。
「映画の中ではあえてそこには触れていませんが、復興とは何だ? と、肌で感じることは多かったですね。個人的には、三陸鉄道をはじめ岩手県内で今、頑張っている企業をシリーズで取材していきたい。『山懐に抱かれて』を制作した時、“よく24年間も取材が続きましたね”と言われたのですが、ただただ酪農の家族を訪問していたらその時間が経っていたというだけ。まさに1年1年の積み重ねで成し得たものです。キー局は技術的なノウハウをいっぱい持っているのが強みの一つ。それと対比して、地元にへばり付いているわれわれは彼らと濃密な関係を築くことができます。これからも目の前にある宝を生かしていきたい」(遠藤監督)
なお、『たゆたえども沈まず』の公開で得た収益金は、岩手県の被災した児童学生を支援する「いわての学び希望基金」に全額寄付するという。
映画『たゆたえども沈まず』は岩手、宮城、福島にて先行公開以降、全国順次公開
1.映画館のない地域で無料上映会を続けること延べ900回
2.地元テレビ局の責任と使命を問い続ける
3.情報弱者を出さないために…耳のきこえない人たちから見た社会の変化
4.「作品」を通して、震災を語り継ぐ試み