オスカー候補作『最後の追跡』がトランプ旋風と共に語られる理由
第89回アカデミー賞
映画賞レースでは、硬派な社会派ドラマ、歴史の知られざる真実や人物に光をあてた実話ものが好まれるのは周知の通り。逆にアクション、スリラー、ホラーといったジャンル映画が高評価を得ることは滅多になく、昨年の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』は例外的なケースである。その意味において“クライム・アクション”に分類される『最後の追跡』は、今年のアカデミー賞作品賞にノミネートされた9作品の中でも異彩を放つ1本だ。(文・高橋諭治)
テキサス州の郊外で、目出し帽を被った二人組の男が銀行を襲撃する事件が続発。引退が間近に控えるベテランのテキサス・レンジャーが、ネイティブ・アメリカンの相棒を従えて捜査に乗り出す……。今どき銀行強盗VS.保安官の攻防を描くとは、何と古めかしい映画だろうか。しかも伝統的な西部劇の様式をまとった本作は、まぎれもない現代劇だ。映画の導入部を観て、まるで時が止まった世界の出来事のように錯覚するのは筆者だけではあるまい。
しかしその先をじっくりと観ていくと、これが単にノスタルジーに駆られ、古き良き西部劇を今に甦らせようとした映画ではないことに気付かされる。舞台となるテキサスの田舎町は人気がなく活気が失われ、戦争帰還兵の悲痛な落書きや高利貸しの看板があちこち目につく。それはまさにイラク戦争とリーマン・ショックの後遺症に蝕まれたコミュニティーの実態だ。銀行強盗を繰り返す30代の白人兄弟も借金苦にあえいでおり、先祖代々受け継いできた土地を地元の銀行に差し押さえられている。
イラク、アフガニスタンからの帰還兵のPTSD(心的外傷後ストレス障害)の問題や、リーマン・ショックの煽りを食って住宅を没収される庶民の苦境をテーマにした社会派映画は過去にいくつも作られている。本作のユニークな点は、銀行強盗という“古風でちっぽけな犯罪”をモチーフにしつつ、より大きな視野でアメリカの地域社会の今をあぶり出していることだ。銀行が貧しい庶民からなけなしの財産を搾取し、エネルギー企業が石油を掘るために牧場を買い占める理不尽な現実。かつては明日への希望に満ちあふれ、アメリカンドリームを追い求めていたアメリカ人を育んできた社会は、いつの間にこんなに歪んでおかしくなってしまったのか。テキサスの大地の詩情豊かにして雄大な風景と、どうしようもない侘しさを分け隔てなく映し出す本作は、実は“時が止まった世界”ではなく、政治やグローバル化の潮流から“置き去りにされた世界”を描いている。この映画がしばしばあのドナルド・トランプ旋風と絡めて評される理由も、まさにそこにある。
さらに本作が面白いのは、上記のような極めて現代的で深刻なテーマを荒々しいクライム・アクションに仕立てていることだ。何が何でも貧困の連鎖を断ち切ろうと怒りのテキサス魂を絞り出した兄弟は、借金の返済相手である銀行から金を奪い取る“目には目を、歯には歯を”の犯罪計画を実行し、地元の自警団や警官隊相手に激烈なチェイスを繰り広げていく。不条理な社会システムに抗い、破れかぶれの行動に打って出る彼らは、まさしく1960~1970年代のアメリカン・ニューシネマの主人公たちのようだ。
そう考えると、ニューシネマの傑作『ラスト・ショー』(1971)でテキサスのさまよえる若者を好演し、スター街道を歩み出したジェフ・ブリッジスが、年老いたテキサス・レンジャー役でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされたことはなおさら感慨深い。ひょうひょうと人間臭いユーモアをまき散らしながら、強盗犯の兄弟を追いつめる一方で、彼らの犯行動機を鋭く推察するこのキャラクターも、得体の知れない懐の深さを感じさせる。おそらく『ボーダーライン』(2015)の新進ライター、テイラー・シェリダンによる優れたオリジナル脚本は、『ラ・ラ・ランド』『マンチェスター・バイ・ザ・シー』とアカデミー賞脚本賞を争うことになるだろう。