『オリエント急行殺人事件』デイジーのセリフど忘れシーン採用!ケネス・ブラナーが明かす秘話
かの有名なアガサ・クリスティの傑作ミステリーを現代のオールスターキャストで映画化した『オリエント急行殺人事件』(全国公開中)で、監督&主演の名探偵ポアロ役を務めたケネス・ブラナーが来日し、原作との違いから、ジョニー・デップのアドリブスキルの高さやデイジー・リドリーのセリフど忘れ事件などを振り返った。(取材:編集部・石神恵美子)
ーーものすごく有名な原作を映画化するこの企画に惹かれた理由は何でしょう。
イギリスではアガサ・クリスティのこの原作は時代遅れというか、これまでに何度も映像化されているし、テレビシリーズなんかはしょっちゅう放送されていたからもう十分だよって思っている人も多いのに、(スタジオが)また映画化しようと思っていることにまず驚いた。でも脚本を読んで、とてもエモーショナルに仕上がっていて、驚いたんだ。ちょうどそのころ、シェイクスピアの「冬物語」に取り組んでいて、いかに悲しみが人々を復讐に駆り立てるのかを知っていた。今作には、シェイクスピアが「深い悲しみの毒」と呼んだものが盛り込まれていると思う。復讐は悲しみから気をそらさせる力を持っていたりもする。そういったアイデアが脚本に反映されていた。誰がやったのか、どうやって、なぜ、正義とは何か、すべてが含まれていて、どうして彼らがもう一度この作品を映画化したいと思ったのか納得できた。これまでと違う方法で、私たちに語り掛けてくるものがあると。
ーー結末を知っている人が多いぶん、工夫を凝らさなければならないことも多かったと思います。
まず、僕たちは物語を違うところから始めた。1974年の映画は過去のフラッシュバックから、原作はシリアのアレッポで始まる。僕たちはポアロが別の事件を解決するところから始めた。これは脚本を担当したマイケル・グリーンによる冒険だったし、新しいポアロを紹介するのにかなり力強いものになったと思う。新しいポアロは、そこまで堅苦しくないけど、きっちりはしていて。あと、左右均衡に異常な執着心を抱いていたり。それをうかがい知れるシーンがいくつかあって、そこが面白いところでもある。ポアロも楽しんでいるところがあるんじゃないかって、少なくとも彼にはユーモアがある。例えば、ポアロはロバのフンに片足を突っ込んでしまって怒るけど、実際に彼にとっての問題は、もう片方の足にフンがついていないことだったりする(笑)。そうやって、これまでのポアロとは違うんだということを早い段階から示せたんじゃないかと思っている。それにこのポアロは機敏な動きもできる。軍人の動きを習得しているんだ。世界一の探偵だと紹介もされるけど、映画の観客は前もって彼の探偵としての腕を知っているから、列車で殺人事件が起きてからも、彼なら何ができるのかって期待感を持つことができる。それに原作とは違うキャラクターもいる。ペネロペ・クルスが演じたのは、グレタ・オルソンではなく、ピラール・エストラバドスというキャラクターで、クリスティの他の小説「ポアロのクリスマス」に登場しているんだ。実はピラールには、セカンドネームがあって、そこにミステリーがある。クリスティのファンにも疑問を抱かせることができたんじゃないかと思っているよ。
ーーメッセージ性の高い作品になったと思いますが、俳優陣とはどのように撮影に臨みましたか。
彼らと話し合いはしたけど、リハーサルはめったにしなかった。原作のフォーマルさの中に、自然さを見出したかった。例えば、ジョニー・デップとケーキを食べるシーンでは、ジョニーは50%くらいアドリブをしている。ただカメラを回して、いいシーンができるまで。でも彼はアドリブが素晴らしいだけじゃなく、何度も何度もケーキを食べなくちゃいけなくても、嫌な顔一つせずやってくれるから助かったよ(笑)。それに失敗したシーンも使ってるんだ。列車の外で、デイジー・リドリーと僕が会話をするシーンなんだけど、デイジーがセリフをド忘れてしまって。でも、カメラを回し続けた。一通り終えて、カメラを止めたら、彼女は「ごめんなさい」って謝ってきたんだけど、僕は「これだ! このテイクを使う」って(笑)。その状況は監督としても、ポアロとしても求めていたものだったよ。だって、彼女がなんと答えるのかわからないわけだからね。この不意打ちから出る緊張感は、まさにこのシーンでほしかったものだ。
ーー65ミリのフィルムで捉えたスケールの大きな映像も今作の魅力の一つですね。
65ミリのフィルムで撮影すると、ディテールまで捉えることができる。とても大きなフォーマットだから、色や粒子を感じられるんだ。イスタンブールの駅でのシーンや、積雪で列車が止まってしまうシーンなんかはかなり壮大なものにできたと思う。
ーー偶然にも、ご出演なさったばかりの『ダンケルク』が65ミリを採用していましたが、影響を受けた部分もあるのでしょうか。
もとから65ミリで撮影したいと決めてはいた。でも、『ダンケルク』にインスパイアされた部分はあると思う。素晴らしい映像になっていたのでね。多くの人に映画館で観てもらえる作品にしたかったから。まるで自分が列車で旅をしているような気分になれるように。オリエント急行でイスタンブールを出発し、ビッグスターたちが演じる乗客の一員になった気分で、映画を観る。そんな経験をしてもらいたくて、このフォーマットを使いたいという思いがあった。スペクタクルなショットで細部までも捉える。それに真実を求める映画でもあるから、このフォーマットでペネロペ・クルスやジョニー・デップの巧みで繊細な演技を見ることができるというのは大きい。このフォーマットで彼らのクローズアップを捉えると、何かをほのめかしているような些細な動きも映り、例えばセリフ一言の間に不自然なまばたきとか、観客は彼らが嘘をついているんじゃないかとか考えさせられる。なので、ストーリー的にもこのフォーマットは合っていると思った。『ダンケルク』でクリストファー・ノーランもこのテクニックを素晴らしく使っていた。壮大な景観を映したかと思えば、主人公の少年たちや僕、(マーク・)ライランスなんかのクローズアップを映してね。彼の作品は、ドキュメンタリーのようなタッチから、突如として壮大なドラマへと昇華されていく。僕たちのは従来的なドラマだけども、これまでにはない過酷さみたいなものが(ドラマに)加わっていく。
ーーカメラワークも巧みでした。
列車で殺人事件が起きたときに、死体が映らなかったりね。ハイアングルのショットにしたんだけど、そのアイデアはヒッチコックの『ダイヤルMを廻せ!』から取り入れた。『ダイヤルMを廻せ!』では、メインキャラクターが殺人を計画しているときに、突然カメラが神の視点になる。法廷的というか、非人間的な視点だ。この作品では、観客に列車の乗客になったような体験してほしかった。列車でとんでもないことが起きたけれど、それを目にすることはないんだという。あのショットで、観客はカメラを傾けてほしいと思うはずだ。彼は本当に死んだのか? って。視覚的にも何が起きたのか、観客の知りたいという気持ちがそそるようにした。キャラクターとストーリーに変化を加え、そういった視覚面でもいろいろ挑戦したけど、今作最大の変化はエンディングの道徳観を問うひねりだと思う。僕らがしたのは、ポアロの葛藤に観客を引きずり込むことだった。ポアロは映画の冒頭で、「物事には善と悪があり、その中間などない」というようなことを言うんだけど、ラストで彼自身が人間性を問われるというか、その中間を認めなければならざるを得なくなるわけだ。殺人事件の真相を知り、加害者も依然として傷を抱え、そこには勝者など存在しないのだと。原作でのポアロは解決したら、去っていく。道徳観についてあまり扱っていない。アメリカで本作の試写会をしたとき、観た人は、いかに人間が矛盾を抱えた存在であるのかについて考えさせられたと感想をくれたよ。大衆映画でそういったものを期待できるのは興味深いと思う。アガサ・クリスティはかなり謙虚に、原作を単なる娯楽作品と言っていたが、僕からしたら娯楽にしては十分すぎるくらい。彼女は常に感情が高ぶる極端な状況にキャラクターを置いては、人間の暴力的な行いを描いている。彼女は自らの作品に対してかなり謙虚だったけど、素晴らしい作品だ。