中村七之助、松本潤との20年来の関係が大河でシンクロ
現在放送中の大河ドラマ「どうする家康」(毎週日曜夜8時~NHK総合ほか)で豊臣政権の実務を一手に担う家臣で五奉行の一人・石田三成を演じている歌舞伎俳優の中村七之助。ドラマの公式サイトでは「家康が、最も戦いたくなかった男」というキャッチがついているように、松本潤演じる徳川家康にとって最大のライバルとなる武将を演じた七之助が、学生時代から親交のある松本との共演について熱い思いを語った。
七之助にとって、大河ドラマへの出演は「武田信玄」(1988) 、「元禄繚乱」(1999)、「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」(2019)以来、約4年ぶりとなる。三成の登場は、9月17日放送・第35回「欲望の怪物」から。家康が上洛し、大坂城の豊臣秀吉(ムロツヨシ)の元を訪れた際、星空を眺めている三成に、家康が話しかけるシーンだ。
「家康さんが三成に話しかけるというシーンが最初の撮影でした。テレビドラマではなかなか順撮り(台本の順番通り撮影すること)というのはないので、すごくありがたかった。とても新鮮な気持ちで臨めました」
もう一つ、七之助が「やりやすかった」と思えた事柄に、松本との長きに渡る関係があったという。
「個人的な思いなのですが、私が16~17歳ぐらいのとき、父親(十八代目中村勘三郎)が『元禄繚乱』(1999)という大河ドラマで大石内蔵助を演じたのですが、わたしが内蔵助の息子・大石主税をやらせていただいたんです。ちょうどそのとき、松本少年とわたしは同じ高校に通っていたのですが、彼もNHKでの仕事があったので、学校からバスで一緒に行っていたんです。それから20年以上の歳月が流れて、彼が大河ドラマの主役で家康を演じ、わたしが石田三成という関係で芝居ができるというのは、すごく縁を感じますし、安心感がありました」
主戦場は異なるが、長きに渡り芸能の世界で切磋琢磨してきた七之助と松本。その関係は20年以上になる。座長として大河ドラマの中心にいる松本はどのように映っているのだろうか。
「嵐のときからコンサートなどを観ていても、彼は演出や指揮をすることがうまい。現場の士気をあげたり、作品をどういう方向に導くのか……そういう部分では本当に頼りになる座長だなと思っていたのですが、この作品でもそれは変わらない。リーダーシップをとることに長けている印象です。彼も40歳ですし、いろいろな経験を重ねて本当に立派な役者になったなと思います。以前初舞台のとき、彼が壇上でセリフを噛んでしまったのです。そのときお客さまが、役としてではなく“松本潤”という認識で笑った。彼自身すごくきつかったと思いますが、そういった悔しい思いをバネにして、経験を重ねてきたからこそ、いまがある。この先も俳優としてすごく楽しみです」
劇中では家康、三成として互いの才能に敬意を払い、良好な関係を築いていたが、第40回「天下人家康」では、秀吉の死後、少しずつボタンの掛け違いが起こり、関係は悪化していく。
「今回の三成は、豊臣秀吉という人物を怖いぐらい崇拝している。それゆえに太閤殿下(秀吉)の考えは絶対の正義だと思っている。だからこそ、殿下の意向に背く人物は、どんなに信頼していても悪だと思ってしまう。そこはわたし自身も父親のことを大尊敬しておりますので、父に対して異を唱える人物がいたら、その人間に対して『なんでそんなこと言うんだ!』と怒りが湧いてくると思うんです。その意味で三成の考えは自分に近いなと感じました。だからこそ、家康が秀吉の置目を破るような不審な言動をすることに対して、敵意というスイッチが入るのは必然だなと思いました」
今後、関ヶ原の戦いに向かって物語は進む。本作は「リーガルハイ」シリーズや『コンフィデンスマンJP』シリーズの脚本家・古沢良太によるオリジナルストーリー。三河の田舎大名だった家康が、さまざまな困難と向き合い重責を担い、極限の選択をしていくなか、江戸幕府を開くまでになった生涯を描く。これまで大胆な解釈でさまざまな人物を切り取ってきたが、三成と家康の関係にも多々見られる。
「とにかく古沢さんの脚本を忠実に演じたいという思いで臨みました。もちろん自分のなかに石田三成像というものはありましたが、これまでの既成概念はすべて忘れて、古沢さんの描く三成に浸って演じました。視聴者の方にも頭を柔らかくして観ていただけたらと思います」(取材・文:磯部正和)