散歩する侵略者 (2017):映画短評
散歩する侵略者 (2017)ライター3人の平均評価: 4
実は監視や武力行使を始める国家権力の方が禍々しい「侵略SF」
黒沢清がSFらしいSFに手を染めた。それも侵略SF。『マーズ・アタック!』や『ゼイリブ』を嬉々として引用しながら、驚嘆の裏にユーモアを潜ませる。彼らは地球人の概念を盗み、人間を熟知してから収奪を完遂しようと企てる。黒沢映画特有の非日常がシネスコ画面を満たすが、これまでのホラー系とは異なる。少なからず社会性を帯びてくるのだ。実は、監視や武力行使を始める国家権力の方が禍々しい。それは防衛を大義名分として“戦前”の気配を醸成する現在と、どこか似ている。とはいえ本作はエンターテインメント性が勝り、長澤まさみ×松田龍平が夫婦関係を修復するラブロマンスという物語の主軸は、ハリウッド市場でも通用しそうだ。
既存のジャンルに新風を吹き込む異色の侵略型SFホラー
黒沢清監督の新作。基本的に『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』のバリエーション的な侵略型SFホラーだが、人間の体を乗っ取ったエイリアンたちが人類を学ぶため、人々から概念を奪っていくという設定がキモとなる。
「家族」や「自分」、「仕事」、「所有」など、人間の行動原理の基盤となる概念を失うことで、むしろ憑き物が落ちたかのごとく自由になっていく人々。かえって、それらを学んだ侵略者側の方に揺らぎや綻びが生じていく。
哲学的かつ社会学的なアプローチは濃厚だが、同時にスペクタクルなSF要素やショッキングなホラー要素もきっちり押さえている。ダークなトーンの中にシニカルなユーモアを交えた語り口も秀逸だ。
ボディ・スナッチャー、日本襲来!
まさに黒沢清監督の『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』である。ほかにも『人類SOS!』など、1950~60年代に量産されたSF映画独特の不穏な空気感が肝であり、松田龍平&長澤まさみによるラブストーリーもどこかクラシックだ。一方、暴走する矢口蘭堂と化す長谷川博己率いるヤングチームは『マーズ・アタック!』ばりにやりたい放題。『くちびるに歌を』以来、役に恵まれなかった感のある恒松祐里は、黒沢監督が『ビューティフル・ニュー・ベイエリアプロジェクト』『Seventh Code』で実験的に行っていた“レディース・アクションのその先”を体現する。この覚醒を機に、“動ける女優”としての活躍も期待したい。