略歴: 映画評論家。1971年和歌山生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『21世紀/シネマX』『シネ・アーティスト伝説』『日本発 映画ゼロ世代』(フィルムアート社)『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。「週刊文春」「朝日新聞」「キネマ旬報」「Numero TOKYO 」などでも定期的に執筆中。※illustrated by トチハラユミ画伯。
近況: 謹賀新年! YouTubeチャンネル『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。12月6日より、片山慎三監督(『雨の中の慾情』)の回を配信中。ほか、ウェストン・ラズーリ監督(『リトル・ワンダーズ』)、想田和弘監督(『五香宮の猫』)、空音央監督(『HAPPYEND』)、奥山大史監督(『ぼくのお日さま』)、深田晃司監督(『めくらやなぎと眠る女』日本語版演出)、クォン・ヘヒョさん(『WALK UP』主演)の回等々を配信中。アーカイブ動画は全ていつでも観れます。
吉田大八監督の脚色術が冴え渡る傑作。数ある筒井康隆の映画化でもNo.1の精度か。主人公・儀助は“煙草を吸わない”男に変換され、母の胎内で空襲を体験した年齢設定など長塚京三のリアリズムに沿って再構成される。日常のディテールは『PERFECT DAYS』ばりの丁寧さで、これもまた小津の派生形か。そこから塚本晋也的なヴァーチャルリアルへと転化していく奇怪なダイナミズムに震える。
夢と現実の極めてツツイ的な境界溶解の中で、フェミニズムに対応する男性性からの情けないアンサーという現代性が付与される。モノクローム、家、シュルレアリスムの共通項からもホン・サンスの『WALK UP』に補助線を引けると思う。
2022年9月の「マフサ・アミニの死」事件がモチーフとなる。『TATAMI』も同件の影響と反映があるが、本作はジーナ運動の直截的な支援が目的だ。主人公一家の娘である姉妹、大学生レズワンと高校生サナは過熱する抗議運動に共鳴する。だが父親は役人。予審判事に昇進した彼は、テヘランの良い家や立派な地位と引き換えに人々を死刑台に送り込む。かくして家族内が苛烈な政治的分断の場となる。
キーパーソンは母親ナジメ。彼女の意思決定次第では『関心領域』に近づいたはず。監督は筋金入りの反骨派モハマド・ラスロフ。167分の長尺はユニークな展開力を湛え、後半部はアクションスリラーの映画的ダイナミズムを豪快に獲得した!
悪い事をすると養蜂家が来るよ!とばかりに、平和のバランスを乱す奴らをムゴい殺し方で駆除する元工作員が暴走気味に大活躍。アニメキャラのように姿形がブレないステイサムが最高だ。彼の標的は闇バイトを多く囲うサイバー犯罪集団。冒頭からフィッシング詐欺に遭う被害者が気の毒すぎるので、問答無用の制裁が妥当のカタルシスを生む。
暴力による浄化は現実だとキナ臭いぶん、まさにフィクションの役割だ。このステイサムは戒めのシンボルで、秋田の「なまはげ」みたいなもの。『エクスペンタブルズ ニューブラッド』ではラジー賞を賑わせたカート・ウィマーの脚本も面目躍如。デヴィッド・エアー監督の鬼畜演出も快調に機能している。
『ツイン・ピークス』×アントニオーニ『情事』か?という起点から、脱線と逸脱を重ねて拡大していく破格に珍奇な長尺。二部構成の全12章から成る4時間強は、組み立てながら不安になる変なパズルのよう。図書館の無数の書物の中から誰かの手紙が出てくるボルヘス直系のイメージ/ギミック――“テキストの中からまったく別のテキストが出てくる”入れ子構造を特殊に極めた趣だ。
868分の『La flor』を生んだアルゼンチンの映画集団「エル・パンペロ・シネ」より、ラウラ・シタレラ(81年生)が監督を務めた大傑作。語りの大胆な実験がインディシネマの可能性を切り拓く。今回は年末4日間の限定上映。さらなる公開延長を望む!
カイエ批評家出身にして名脚本家、パスカル・ボニゼール監督の快作。彼は『これが私の人生』のソフィー・フィリエール監督(23年逝去)のパートナーだった人。奇しくも12月のカンヌ監督週間特集において実子2人が来日した後の日本公開となる。
『ある画家の数奇な運命』は1937年のナチスによる退廃芸術展から始まるが、その延長で行方不明となっていたエゴン・シーレの「ひまわり」の内の一作を巡る騒動。絵画オークションという題材は珍しくないが、曲者だらけの人間模様を織り成す特異にして軽妙かつ良質のミステリー調に仕上げた。社会階層の交差を描く中、キーパーソンとなる青年マルタンの清涼感が抜群の余韻をもたしてくれる。