略歴: 映画評論家/クリエイティブディレクター●ニッポン放送「八木亜希子LOVE&MELODY」出演●映画.com、シネマトゥデイ、FLIX●「PREMIERE」「STARLOG」等で執筆・執筆、「Dramatic!」編集長、海外TVシリーズ「GALACTICA/ギャラクティカ」DVD企画制作●著書: 「いつかギラギラする日 角川春樹の映画革命」「新潮新書 スター・ウォーズ学」●映像制作: WOWOW「ノンフィクションW 撮影監督ハリー三村のヒロシマ」企画・構成・取材で国際エミー賞(芸術番組部門)、ギャラクシー賞(奨励賞)、民放連最優秀賞(テレビ教養番組部門)受賞
近況: ●「シン・ウルトラマン」劇場パンフ執筆●ほぼ日の學校「ほぼ初めての人のためのウルトラマン学」講師●「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning」劇場パンフ取材執筆●特別版プログラム「るろうに剣心 X EDITION」取材執筆●「ULTRAMAN ARCHIVES」クリエイティブディレクター●「TSUBURAYA IMAGINATION」編集執筆
生身である以上、ヒーローも衰える。いつしかスーパーパワーも消えてゆく。アメコミ映画が遂にここまで来た。強さではなく弱さを、勇姿より人間味を描くのだ。傷だらけのウルヴァリン、介護を要するプロフェッサーX。老いと終末を直視し、満身創痍の激闘によるヴァイオレンスは熾烈を極め、ギリギリの生死を生々しく見せつける。そこに現れる、牙を剥く生命力みなぎる謎の少女。追手から三世代が逃走するロードムービー形式と、去りゆく者/滅びゆく者を象徴させた西部劇スタイルが絶妙に重なる。“人間ローガン”として辿る最後の旅は、哀感に満ちあふれながらも、次世代に希望を託すシリーズ史上最高傑作である。
昭和にはせいぜいグレーでしかなかった企業が、ブラックと呼ばれる現代。若者のメンタルにとって、本作が描くテーマは喫緊の課題だ。上司吉田鋼太郎に従属する部下黒木華の関係性に、今なお続くこの国の悪しき企業風土が象徴されている。どうにも逃げ場がなくなった主人公の前に現れる、謎めいた存在ヤマモト。彼をめぐるミステリーやミスリードが、テーマをぼやけさせてしまうのが惜しい。希望を示す終盤の展開は飛躍しすぎ、ファンタジーと化していく。映画そのものがヤマモトを志向するのなら、万人にとっての処方箋を描くべきだった。映画としては弱い。しかし、追い詰められた今の若者を救いたいという意志は伝わってくる。
田舎町で心を閉ざしたティーンエイジャー。母性を欠いた環境。音楽だけが心の友。そこへ現れる人魚の幼女。やって来るカタストロフ――。ジブリを思わせる心の解放や世界の救済といった王道のモチーフをちりばめ、疾走や躍動を追求するアニメならではの<画×音>のコラボが心地よい。とりわけダンスシーンの表現には息を呑む。そして「水」を中心とするゆらめきの表現に長けたフラッシュアニメーションを、長編映画に全編にわたって活用した実験精神は、観る者の心もなめらかにしてくれる。湯浅政明監督の新境地は、3.11の記憶を甦らせカタルシスを与えるという意味において、『君の名は。』とも同列に語られるべきだろう。
禁酒法から大恐慌へ。20~30年代アメリカ「狂騒」の美意識は眼を楽しませる。ならず者がしのぎを削る、既存のノワールとは一線を画す。ベン・アフレック扮する男は、支配されることを拒んだ挙げ句、裏社会で自分の掟の下に生き抜こうとする。極悪非道に染まりきれない彼の表情は、反社会的というよりも、どこか厭世的。そんな主観が極められれば異色作になったはずだが、演出スタイルはあくまでもクライム映画風。ゆえに、権力や美女をめぐるロマンに欠ける、感傷的な擬似ギャング映画に見えてしまう。闇に生きる面々が役不足なのも痛い。アフレック監督作を愛する者としては、いくらでも擁護のしようはあるが、決して成功作とは言い難い。
イタリアでは国民的な作品と化した、日本発70年代アニメ。それらを浴びて育った監督が生み出したのは、子供の頃の夢を再現する類の映画ではない。社会の底辺で生きる小悪党が、身に付けてしまったスーパーパワーを、まず自らの欲望のために使うという現実味。自堕落で肉食ぶり全開の泥臭い男には、正義よりも煩悩が勝る。ハリウッド製スーパーヒーロー映画への批評性に満ちている。虚構と現実の区別がつかないヒロインの導きによって、悪行が横行するローマで、ようやく強大な力の使い途に目覚める。永井豪作品をモチーフとしながらもフォロワーとして耽溺することなく、ヒーローものの定石を破壊して現代社会を射抜く快作だ。