略歴: アクションとスリラーが大好物のフリーライター。『DVD&ブルーレイでーた』『SCREEN』『Audition』『SPA!』等の雑誌や、ネット媒体、劇場パンフレット等でお仕事中。
近況: 『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』『探偵マーロウ』『ドラキュラ/デメテル号最期の航海』他の劇場パンフレットに寄稿。「シネマスクエア」誌にて、正門良規さんに映画とその音楽について話を聞く連載を開始。
シリーズ10作目にして初めて、殺人鬼ジグソウの視点で描かれるドラマという点に、ファンとしては注目すべきだろう。
これまでデスゲームの仕掛け人として暗躍していたジグソウを主人公に据えたのは、その人間像や哲学に深く迫るということでもあり、そこに共感を生じさせるドラマが生じる。一方、過去のシリーズでは主人公だった、ゲームを仕かけられる側が成敗される立場に。勧善懲悪ならぬ“勧悪懲悪”と言うべきか。
ジグソウの動機がはっきりしている分、観客も彼を応援したくなる奇抜な構造。『ソウ』全作に関わってきたグルタート監督でなければ、この発想の転換は生まれえなかっただろう。シリーズ随一の高評価も納得。
『プー』シリーズを筆頭に童話の残虐ホラー化の動きが目立っているが、『不思議の国のアリス』を翻案した本作はテイストか異なる。
基本は、森の一軒家に住む祖母に引き取られたヒロインの孤児アリスの幻想体験。そこで出会うのは謎の姉妹や殺人鬼、そして何かを知っているらしきマッドハッター。一方で、優しい祖母の不審な行動が徐々に目立ってくる。
『プー』のような血なまぐささとは無縁で、陰鬱な色彩と、イビツなキャラクターで暗黒の世界を演出。絵的な派手さはないが、物語の特性を生かしたイマジネーションの異様さで押しとおす。アリスにふんしてダークな世界に火を灯す新星L・ウィリス頑張りが光った。
前作のスコセッシ風アメリカンニューシネマのテイストを踏襲しながら、状況をさらに重くダークに突き詰める。これは確かに賛否を呼びそうだが、個人的には賛に一票。
何しろ舞台はほぼ刑務所と法廷のみ。前作で提示されたアーサーの妄想癖はヒロインとのミュージカルにまで発展するが、その華やかさが、悲惨さを増すアーサーの現実と対をなしているのがイイ。
いたたまれないほど落ちていくアーサーをさらに落とす、そういう意味では正しいT・フィリップス版ジョーカーの続編。ここではDCワールドのカリスマ的ジョーカー観を忘れるべきだ。
ハリウッド進出以前のランティモス作品のテイストが戻ってきたような、シュールなつくり。それがオムニバスになったことでヘンテコさに拍車をかける。
3話はいずれも不条理展開で、突拍子のない展開やキャラが直面する気まずさにユーモアが。前作『哀れなるものたち』に見られたフェリーニ風テイストが、ドラマの中により強調されたような空気感も宿る。
飲み込みやすい物語ではないが、長尺でも飽きないし、そこに込められた寓意を探るのも妙味。まったく異なるキャラで全話出演する主要キャストの役回りの変化も解読のヒントになるかもしれない。
誰にも感情移入できない物語という点は黒沢清監督作品らしさ。なにしろ菅田将暉ふんする主人公は冷徹な転売屋で、親しみの抱ける人物とは言い難い。が、話はそれゆえに面白くなる。
主人公の冷徹さは敵をつくり、立場がどんどん悪くなる。そんなことを気にする様子もなく飄々としているうちに不穏な空気が増していく妙。スリラーを構築する巧妙な仕かけは、さすが黒沢作品。
不穏という点では、知らぬ間に状況を支配する何者かがいるのもポイントで、そこにも黒沢作品の旨味を感じとれる。菅田はもちろん、フツーっぽいのに味のあるその助手にふんした奥平大兼の妙演も光る。