略歴: アクションとスリラーが大好物のフリーライター。『DVD&ブルーレイでーた』『SCREEN』『Audition』『SPA!』等の雑誌や、ネット媒体、劇場パンフレット等でお仕事中。
近況: 『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』『探偵マーロウ』『ドラキュラ/デメテル号最期の航海』他の劇場パンフレットに寄稿。「シネマスクエア」誌にて、正門良規さんに映画とその音楽について話を聞く連載を開始。
ナチス時代を生きたドイツ市民に対し、意図的に、もしくは図らずもホロコーストに加担した責任について、監督は問いかける。暴力のない『ゆきゆきて、神軍』というべきか、その冷徹さに唸らされる。
責任を感じている者には踏み込まないし、感じていない者には多角度から質問を試みる。ユダヤをルーツに持つ監督にとって、そこは譲れない一線だった。そして、それこそが本作のブレない芯となる。
この監督が正しいことをしたのかどうかは正直わからない。しかし、過去に犯した戦争の罪に対して、今を生きる国民がどのように歴史を受け止め、どんな責任を抱くべきか? それを考えさせるうえで、本作は文句なしに力作である。
『ジュラシック・ワールド』に始まった新シリーズはシンプルに楽しめる“パーク”と比べると、テクノロジーの進化による人間の驕りに向けたテーマが宿っていた。そういう意味では“パーク”に戻った感がある本作。
基本的には“ワールド”の主人公カップルが街で、大自然で、恐竜からサバイバルする話。大企業の陰謀を暴く大筋はあるものの、そこに重さはなく、“パーク”1作目の科学者トリオの再結集や、同作の恐竜の再登場を含めて、お祭り的に楽しめる。
“ワールド”前2作のドラマ性を気に入っていたファンには不満が残るかもしれない。しかし“パーク”を含めた壮大なサーガの締めとして、これはこれでアリだ。
自由であることに価値観を見出した10代には、思春期の家族生活は地獄に等しい。亡きヴァレ監督がキャリア初期に手がけた本作は、そんなリアルを切り取った点で優れた青春映画だ。
保守的な時代と社会に、バイセクシャルの四男vs家族という構図を描く。“男らしさ”至上主義の父や兄たちは時に手ごわい敵となるが、加齢とともに少しずつ変わっていく彼らの心情には、切なさや温かさがにじむ。
音楽の使い方もうまいが、70年代のグラム~パンクは異端児の味方であったことを再確認。主人公は自称・無神論者だが、神がいるとすればそれはD・ボウイだったのだろう。
『ジュヴナイル』を見たときの、あの高揚感。現代を生きる子どもたちをファンタジーの世界に置いてジュヴナイルを紡ぐ、山崎貴監督の才腕を久しぶりに堪能した。
VFX描写の面白さはもちろん、子どもたちの気取らないたたずまいもいい。大人が頭で考えた言葉ではなく、“今”の子どもの言葉やイントネーションが脈づき、オバケ奇譚の中にもしっかりリアリティが息づく。
当然、子役たちはいずれも魅力にあふれ、またそれぞれの個性も生きている。『妖怪大戦争』での子役としての主演から15年を経て、神木隆之介がオバケ側の人間にふんしているのは、なんだか感慨深い。
夏か来れば見たくなるジャンル、サメ映画の最新作。大海原に取り残された、無軌道な大学生たちが順番にサメの餌食になっていく……という安定のホラー路線。
ありがちといえばありがちな物語だが、ヒロインのキャラは面白い。学生の中で唯一悪さをしない、いわゆる“グッド・ガール”。恋人の浮気や親友の裏切りを乗り越え、内面からたくましくなっていく点にドラマがある。“私はカンザス娘、死ぬまで戦う”というセリフにシビレた。
キャラはアメリカの大学生だが、スタッフ&キャストがほぼイギリス人で資本も英国というのがユニーク。イギリス製ジャンル映画で頭角を現わしたJ・ナン監督の小気味よいタッチも買い。