略歴: 文筆稼業。1963年東京都生まれ。「キネマ旬報」「月刊スカパー!」「DVD&動画配信でーた」「シネマスクエア」などで執筆中。近著(編著・執筆協力)に、『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』(スペースシャワーブックス)、『寅さん語録』(ぴあ)、『冒険監督』(ぱる出版)など。
近況: またもやボチボチと。よろしくお願いいたします。
おそらく筆者のように『哀れなるものたち』に快哉を叫んだ向きは、手の込んだ、そのめくるめく“魅惑の悪意”で作ったロールケーキを楽しみつつ、しかし終わってみればどこかバツの悪さが残るのではないか。で、前作に十全にノレなかった方は逆に、「これぞランティモス映画の原液!」と舌鼓を打つはず。
ずばり、Sweet Dreams (Are Made of This)な映画。役者陣を眺めれば、ジェシー・プレモンスが圧倒的にいい。3つのストーリー全て。エマ・ストーン、ウィレム・デフォーらはやや食傷気味か。ランティモス監督にはいっそ最難関の頂き、めくるめく“魅惑の悪意”の大先達ルイス・ブニュエル超えを望みたい。
伊豆のリゾートホテルで展開する、5年間のタイムラグを立体化した人間交差点。主人公然としている佐野弘樹を筆頭に、蠢き、まろぶ登場人物たちの“心の空白”は、何かで埋められたり埋められなかったり。五十嵐耕平監督はその5年の時間を通して、忘れられぬ「永遠と一日」を凝視し、我々に呈示する。
無くなってしまった「赤い帽子」。「La Mer(海)」が元歌の「Beyond the Sea」。そんなディテールでもって時空間が繋がってゆく面白さ。青い海と空がもっぱら視界を覆うのだが、例えば深夜のカップル、コンビニ前で座って食すカップ麺にHAPPY FOREVERは宿る。SUPERな共体験に変えるのは……あなた。
「ホップ、ステップ、ジャンプ!」と順を踏んで、見事に飛躍してみせたこのシリーズ第3作。会話と笑いと打撃が全篇的確に繰り出されていき、人と人とが織り成す活劇、映画的なショットの連鎖の快楽がハンパではない。主演の高石あかりと伊澤彩織のバディぶりはさらに深化。こんなにも二人の関係性にバリエーションが生じるなんて。そこに割り込む新キャラのウザい先輩、前田敦子と大谷主水もいい。
そして“野良の殺し屋”として役柄を分厚く仕上がってきた池松壮亮が、逆説的に「プロフェッショナリズムとは何か」を教えてくれる。2作目で引用された谷川俊太郎の詩の効果しかり、阪元裕吾はやっぱり「心情」と「詩情」が撮れる監督だ。
劇中の(青春の片隅で揺らぎ悩む)少女たちと少年のごとく、監督:山田尚子、脚本:吉田玲子、音楽監督:牛尾憲輔がその総意を代表しスリーピースバンドを組んで互いの「唯一の個」を重ね奏でたかのような作品。それは言の葉にぴったりとは包むことのできぬ感情を、人肌の声を出す電子楽器テルミン同様、波動の音色で紡いでゆく。
丁度、配信が始まった山田監督の短篇『Garden of Remembrance』もそうなのだが、心のやわらかい部分に触れてきて、いつまでも浸っていたくなる。それにしてもシスター役のキャラクターボイス、『違国日記』に続いて“彷徨う子供の時間”を見守る新垣結衣のマスター感溢れるあの声の肌理よ!
W主演のひとり、ホロコーストの生き残りの主人公が少々、強迫観念が強く、偏屈そうな老人キャラなのが肝要だ。時と場所は1960年、南米のコロンビア。つまり、引っ越してきた隣人のことを(根強く生存説が流布されていた)アドルフ・ヒトラーではないかと疑うのだが、明らかに勇み足で、そんな“善なる狂信的キャラクター”を燻し銀アクター、デヴィッド・ヘイマンが巧みに身に纏っている。
そして、隣人を演じるのが怪優ウド・キアということで、主人公の妄想を膨らませるに足る存在感で対峙する。その二人の距離感の伸縮がドラマとなっていくわけで、後半、妄想と現実が一致する瞬間がスリリング。やや粗い脚本がもどかしいけれども。