真夏の方程式 (2013):映画短評
真夏の方程式 (2013)ライター2人の平均評価: 3
西谷弘という職人演出家を正当に評価したい
「テレビドラマの映画版」という文脈で捉えると、本作は状況論的にひとつの成熟を感じさせるものだ。5年前(2008年)、東野圭吾のガリレオシリーズ映画化企画の第一弾であった『容疑者Xの献身』は、映画本編との肉離れを承知で、テレビドラマ『ガリレオ』のお約束事をゴロッと生硬に導入していた。それは1998年から始まった『踊る大捜査線 THE MOVIE』(同じフジテレビ)という巨大な成功体験を具合悪く引きずり、テレビドラマとの折衷的な形でないと観客を映画に引っ張ってこられないという弱気な「戦略」に基づいたものだったと思う。しかし今回の『真夏の方程式』は余計な配慮なし。単体で成立する真っ当な映画作品であり、俳優陣のアンサンブルに重きを置いた(杏は最高!)原作小説の律儀な映画化である。それは昨年、『踊る』シリーズがファンサービスに収縮する尻すぼみで終了した事態と交錯するように、せり上がってきた「ガチ勝負」の姿勢だ。言わば“脱「THE MOVIE」”時代の到来。そしてテレビドラマと映画の両方をこなす西谷弘という監督を、優れた職人演出家として正当に評価する視点を映画畑の人間も持っていいと思う。
不可解な動機と奇妙な家族の16年
海辺で過ごす少年のひと夏の物語という事件への導入は、郷愁をそそる。騒々しい新人刑事・吉高由里子が登場する必然性は薄いが、福山雅治が所構わず数式を書きまくって事件を解明するようなあざとい演出はない。TVシリーズ『ガリレオ』番外篇である本作は『容疑者Xの献身』同様、無表情の物理学者の天才よりも人間性に光を当て、「映画」を志向してみせる。しかしディテールの詰めはあまりにも甘く、不可解で歪なミステリーに成り果てた。▼さて、ここから先はネタバレを含むことを、ご了承いただこう。▼まず、16年前に起きた殺人事件を解明しようと田舎町に訪れた元刑事・塩見三省の殺し方が問題だ。家族の過去を暴かれたくない父・前田吟による偽装殺人。最初のトリックも致死の確実性は弱いと言わざるを得ないが、2つめの偽装は検死解剖されることを想定しておらず、「おいおい…」とつぶやくしかない。▼最大の難点は、前田吟の娘役・杏が、中学生の時に犯してしまった殺人の動機である。衝動殺人というものは存在するだろう。しかしなぜ殺すに至ったのか。このイメージ処理の回想に対しては、「さっぱり分からない」という主人公の決めゼリフを進呈しよう。そして、罪を被って懲役となる人物がいる。深い罪悪感を抱えて育ったはずの杏と、忌わしき過去をひた隠しにしてきたはずの家族の描写に、陰りがなさすぎる。さらに前田吟は、何のためらいもなく、事件とは全く関係のない親戚の少年に、無意識のうちに殺人を手伝わせるという異常さ。▼愛ゆえに殺し、愛ゆえに守り抜き、愛のために赦す。全編を覆う、そんなトーンに騙されてしまう観客もいるのだろうか。犬神家よりも業深きクレイジーな家族としてこの一家を描くのなら、まだ納得できたのかもしれない。