円卓 こっこ、ひと夏のイマジン (2014):映画短評
円卓 こっこ、ひと夏のイマジン (2014)ライター2人の平均評価: 5
子供の映画か…とナメたらアカンで
日頃、子供と接する機会のない人にとっては尚更、9歳児のこっこに価値観を揺さぶられるかもしれない。こっこは大人がやり過ごしがちな問題や、常識だと思っている事に疑問を投げかけ、己の信念に従って行動する。個性的なファッションセンスと良い、大衆に迎合しない生き方はまさにパンクだ。
そんな彼女を育む家族や地域がいい。隣家の会話が丸聞こえの団地暮らしも、機嫌が悪い時の一家団欒が基本の食卓も、時にうっとうしいかもしれない。だがこっこが誤った方向に進みそうな時には道を正し、悩んでいる時には耳を傾けてくれる人が必ずそばにいる。殺伐とした時代に今、何が一番必要なのかを、この映画が示してくれているようだ。
活き活きした子供映画だが、そこでは終わらぬ過激な作品。
吃音、ものもらい、不整脈、在日三世、ボートピープル、そして変態さん……人とは違うことを心底「かっこええ!」と感じるこっこ。一方、みんなが手放しに横並びの反応をするのが気色悪くて仕方ない、そんな彼女を取り巻く世界の象徴が茶の間に居座る赤い円卓だ。これを俯瞰して見ればまさに日の丸。“他人に対するイマジン”を高速でめぐらせ、剥きだしの目玉を髪どめにしたこっこは、「いま改めて知覚を総動員し、この世界を、世界の中の日本を認識せよ!」とオトナを過激に挑発するかのよう。世界を知ることでちょっと“普通”になっちゃうのかもしれないけれど、こっこも日本もきっと、別の「かっこええ」やり方を見つけられるはずである。