無伴奏 (2015):映画短評
無伴奏 (2015)ライター2人の平均評価: 4
「あの頃」の青春群像を淡く耽美的に染める
好き。1969年~71年――いわゆる“政治の季節”が高揚から停滞に向かう時代の青春。ひとつの定番となった感のある「近過去時代劇」だが、内実としては社会背景より、性愛を伴うミニマムな人間関係を儚げなトーンで煮詰めていく。言わば「現代」よりも「永遠」と繋がる視座。筆者は監督・矢崎仁司の初期傑作『三月のライオン』の変奏としてずっと観ていた。
全体に漂う文学的リリシズムのせいか、気障な台詞廻しも浮き上がらない。雷の夜のBLシーンなども含め、“少女漫画の香りがする”という言い方も可能かも。成海璃子・池松壮亮・斎藤工ら「知」で彩られた世界像に似合う若手俳優が揃っている事にも感動。脇の女優陣もみんないい。
『そこのみにて光輝く』に続いて漂う、ATGの匂い。
『風たちの午後』『三月のライオン』など、これまでも異質ながらピュアな愛の物語を撮ってきた矢崎仁司監督だが、たとえ旬の俳優を起用しようが、ここまでルックが変わらないとは! 「あの時代」を知る監督に惚れ込み、すっかり昭和顔になった俳優陣が静かにぶつけ合うオーラとエネルギー。「カノン」などクラシックが流れるバロック喫茶店内、どこか不穏な空気を醸し出す茶室など、青春の光と陰を際立たせる絶妙な照明。デモシーンなどでの甘さも見えるが、余韻を残すラストシーンなど、「なぜに今?」と感じた原作ファンも納得の仕上がり。そして、『そこのみにて光輝く』に続く、ATG映画の匂い漂う今の日本映画ともいえるだろう。