火口のふたり (2019):映画短評
火口のふたり (2019)ライター3人の平均評価: 4
世界の終わりを前にして快楽に身を委ねる「噴火の子」
“終わり”までの猶予に、再会して身体的本能に身を委ねる、決して若くはないふたり。強烈な情念や湿度を感じさせず、エロスと呼ぶにはどこか淡白なその姿は、生と死の狭間で、ただ刹那的に、軽やかに踊るかのようでもある。中高年なら自画像を重ね合わせたくもなるだろう。大きな物語と個の営み/世界とセカイ、その結び付き。思想よりも生活。抗いようもない富士山大噴火と、人間の所業に起因する気候変動の違いはあれど、『天気の子』のふたりが選択したその先も、案外近しい未来ではないか。監督には、俳優の身体性なくば映画ではないとしてアニメを除外せず、編集発行人を務める映画雑誌の年間ベストの俎上に乗せ競い合わせてほしいものだ。
面白可笑しく、ドロドロしてない!
挙式を控えた女が前カレと一緒に、三大欲求を満たすだけの5日間――。荒井晴彦監督作の中では、いちばんロマンポルノ色が濃厚だが、キャスト2人のみで、115分を魅せ切ってしまう、恐るべき“身体の言い分”の物語だ。とにかく『きみの鳥はうたえる』に続いて、柄本佑のクズ男っぷりが絶品であり、最初はイヤイヤながらも、次第に身を委ねていくヒロインを演じる瀧内公美の芝居もリアルで、妙に説得力がある。とはいえ、このテの作品にありがちなドロドロさは皆無。男女の恋愛観の違いや温度差も描かれる会話劇として、しっかり笑えるほか、まさかのオチ込みで、大人のためのブラックコメディとして観ることもできる。
全裸の交わりが、こんなにも生々しく、美しく、切なくて…
原作もほぼそうだったように、登場人物は2人。ひたすら彼らの関係性が描かれるので時折、息苦しい感覚にも囚われるのだが、その分、肉体の歓び、その究極の快感を取り戻せずにはいられない2人の戸惑いと切実さがひしひしと伝わってくる。かなり際どく大胆で、時として笑っちゃうほど生々しい性描写も、冒頭で野村佐紀子の写真で予告されるので、なんとなくアートっぽく感じられ、観ていて気恥ずかしくはならないから不思議。
原作が3.11の直後に書かれたので、近い将来、また訪れる天災への危機感がじんわり漂う。そして主演2人が惜しげもなくさらす全裸に、終末観がまとわりついて胸を締めつける。その意味で、小説の忠実な映画化。