ヒトラーのための虐殺会議 (2022):映画短評
ヒトラーのための虐殺会議 (2022)ライター2人の平均評価: 4
大量虐殺計画を理路整然と話し合うエリートたちの恐ろしさ
1942年1月20日、ベルリン近郊の邸宅でナチス親衛隊の幹部や各省庁の事務次官が集まり、「ユダヤ人問題の最終的解決」すなわちユダヤ人の虐殺計画を議決したヴァンゼー会議を再現した作品だ。几帳面で真面目で論理的な軍人や官僚らエリートが、ホロコーストという人類史上最悪の大罪を顔色一つ変えず理路整然と話し合っていく光景の恐ろしさ。その過程で浮かび上がるのは、ユダヤ人が世界を裏で操っているという陰謀論、ドイツ人凄い!に心酔する偏狭なナショナリズム、遺伝子や属性で人間の優劣を決める優性思想、命の価値を生産性という物差しで測る歪んだ合理主義。こうしたものが社会で台頭しないよう我々は常に警戒する必要がある。
歴史に悪名を刻んだ効率化政策決定の貴重な記録
銃殺は手間だからガス室を……というナチスのユダヤ人政策を決定した悪名高きヴァンゼー会議を、議事録に基づいて再現。それだけでも本作が作られたことは意義深い。
官僚や軍人らがそれぞれの立場で論じるのは、よくある会議の風景。しかし、“ユダヤ人は死んで当然”という共通認識のうえで成り立っているのが恐ろしい。そんな彼らも、おたがいの家族の話をフツーにしたりするのだ。
ユダヤ人と異人種のハーフやクォーターの扱いや、それによる庶民感情も討論の的になるなど、当時のドイツの情勢が生々しく見て取れる。第一次大戦を知る者と、知らない若き強硬派との世代間ギャップも興味深い。