6月0日 アイヒマンが処刑された日 (2022):映画短評
6月0日 アイヒマンが処刑された日 (2022)ライター2人の平均評価: 3.5
グウィネスの弟という立場から、名監督になりつつある
1961年という時代を再現するうえで映像のルック、音楽の使い方などジェイク・パルトロウ監督の仕事は手堅い。“グウィネスの弟”という形容詞は一瞬で忘れ去られる。
火葬をしないイスラエルで焼却炉を作るメインの話はわりとオーソドックス(このあたりも監督の生真面目な性格が反映?)だが、戦争犯罪人アイヒマンを監視する刑務官の「死刑まで何もトラブルは起こさない」という神経のすり減らし具合は鳥肌が立つレベル。一方で当事者、アイヒマンの見せ方は、観る者のイマジネーションを広げる意味で秀逸。
ポーランドのゲットーのシーンが戦争前のウクライナ、キーウで撮影され、偶然にも時代を超える悲しみを伝え、これも映画の力か。
3人の庶民の目を通して語られる歴史の1ページ
ユダヤ人大量虐殺の責任者・アイヒマンの処刑という巨大な歴史の1ページに携わった、イスラエルの庶民たちの物語。イスラエル人といっても多様であり、本作では主に、リビアから移民してきた子ども、ポーランドのゲットーから生き延びた男性、アイヒマンを監視する看守という、異なったルーツを持つ3人の目を通した物語が描かれている。歴史とは人間一人ひとりが経験してきたことの積み重ねであり、誰かが時分の都合の良いように書き換えていいものではないということがしみじみよくわかる。3つのストーリーが絡み合わないため、やや散漫に感じられるが、これはジェイク・パルトロー監督も関わっているマンブルコア風味なのかも。