イベリン:彼が生きた証 (2024):映画短評
イベリン:彼が生きた証 (2024)ライター2人の平均評価: 4
人は人とかかわることで人生を豊かにできる
難病で亡くなった青年の両親のもとへ、思いもしなかったお悔やみのメールが大量に届く。恋も、友情を育むことも、誰かのために役立つこともできない思っていた息子は、実はゲームの世界で豊かな人生を送っていた。人は人とかかわり、人に貢献することで、人生を豊かにすることができる。それが“生きた証”である。そんなことを静かに、だけど雄弁に伝えてくれるドキュメンタリー。面白いのは主人公がゲームの世界の中で聖人だったわけではなく、時に悩み、苦しみ、人を傷つけたりしていたこと。でも、反省し、素直に謝罪することができた。難病の青年の話だが、これは私たち自身の話でもある。墓に刻まれた名前を見て泣いてしまった。
人とのつながりについて考えさせる感動作
弊害ばかりが指摘される若者のゲーム依存について、このドキュメンタリーは新たな視点を提供。治療法のない進行性の難病を持つマッツは、普通の子と同じような青春時代を送ることができない。だが、オンラインゲームの世界で、マッツは“イブリン”というアバターになって国境を越えた友人を作り、恋をして、本当の顔を知らない仲間たちを手助けしてもあげていた。イブリンもまた、本当のマッツ。息子のそんなダブルライフを両親が知るのは、マッツが死んでから。マッツの家族やゲーム仲間たちの話には、思わず涙。彼が“住んだ”ゲームの世界を再現するアニメーションも効果的。人とのつながりについて考えさせる感動作。