マーティン・スコセッシ監督が出世作『ミーン・ストリート』について語る!黒人だけで撮影する可能性もあった?
映画『タクシードライバー』や『ディパーテッド』などでおなじみのニューヨーク出身のマーティン・スコセッシ監督が、1973年に製作した自身の出世作『ミーン・ストリート』について振り返った。
マーティン・スコセッシ監督映画『ヒューゴの不思議な発明』場面写真
同作は、ギャングのチンピラ、チャーリー(ハーヴェイ・カイテル)は、組織間の忠誠に疑問を感じていた矢先、親友で無鉄砲なジョニー・ボーイ(ロバート・デ・ニーロ)が、給料を酒や賭博に使い果たして借金を抱えていく。そんな中で、唯一チャーリーはジョニー・ボーイをかばい続けようとするが、徐々に他の仲間との間に亀裂が生じていくというドラマ作品。映画は、アメリカ議会図書館に保存されている名作でもある。
スコセッシ監督はこの映画のコンセプトができてから製作まで10年間かかったそうだ。「この映画は、1963年のケネディ大統領暗殺事件の1か月前に起きたある出来事と自分の育った環境を基に映画化しているんだ。これより前に撮った映画『ドアをノックするのは誰?』を製作するのにおよそ3、4年かかり、その間は編集をしながら暮らしていたが、映画『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』の編集をするためにカリフォルニア州に行った際に、ロジャー・コーマンと出会ったことがこの映画の製作に繋がったんだ」と明かした。
そして、そのロジャー・コーマンとの出会いは「ロジャーのもとで毎日製作に携わり、いかに(監督として)明確にスケージュールを組んでいくかを学んだんだ。それから、彼はこの『ミーン・ストリート』の制作費を出すと言ってくれたが、彼にはある条件があった。それは、彼の弟ジーン・コーマンが、この映画の前にブラックスプロイテーション(1970年代に黒人をターゲットにした独立系映画)作品『クール・ブリーズ(原題) / Cool Breeze』の興行で成功していて、ロジャーはこの僕の作品も黒人に変えて撮影してみたらどうか?と提案してきたんだ……。もちろん、そんな制作はできないと思い、その頃友人ジョン・カサヴェテスの紹介で、この映画のプロデューサー、ジョナサン・T・タプリンを紹介してもらったんだ」と語ったスコセッシ監督は、さらに精神的な面でジョン・カサヴェテス監督に支えられてもいたそうだ。
ニューヨークを舞台にしているが、ロサンゼルスで撮影されたシーンも多かったそうだ。「撮影は26日間行われ、スタッフはロジャー・コーマンのもとで働いていて、当時まだユニオンにも属していない人も居たんだ。撮影は、屋根裏のシーンやアパートの細い廊下はニューヨークで撮影した。だが、ほとんどの屋内の撮影はロサンゼルスのダウンタウンで撮影したんだよ。撮影開始から1週間目はニューヨークで、その後ロサンゼルスに移って、あの車が衝突するシーンを2週目から撮影していたんだ。ちょうどあの時、30歳の誕生日だったことを覚えている」と述べたが、すべてニューヨークの撮影だと思えるほど、見事にロケ地を使い分けされて描かれている。
最後に自分がこの映画に出演したことについて「僕の出演だけでなく、この映画ではあらゆる面で人が足りなかった。僕が演じた役を演じる予定だった俳優が病気になり、僕が出演することになったんだ。僕の出演を提案してくれたのはボブ(ロバート)だったが、他のスタッフや俳優は反対していたんだ。だが、ボブがマーティンはやれるよ!と押し続けてくれたんだ。それに、撮影期間が限られていたし、ニューヨークとロサンゼルスで撮影するから仕方なかった……(笑)」。その後彼は、『タクシードライバー』にも出演している。
数々の秀作を作り上げてきたマーティン・スコセッシ監督の出世作を観て、彼の原点を知ってみるのも良いかもしれない。 (取材・文・細木信宏/Nobuhiro Hosoki)