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「ゲド戦記」をとことん読みつくせ!

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ゲド戦記をとことん読みつくせ!
コンテスト概要 ゲド戦記」をとことん読みつくせ! ゲド戦記」をとことん読みつくせ! 「ゲドを熱く語れ!」コンテスト入賞者発表
「ゲドを読む。」最新情報
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昨年、公開されたスタジオジブリの長編アニメ『ゲド戦記』。原作は、アメリカの女優作家アーシュラ・K・ル=グウィンの同名小説で、「指輪物語」「ナルニア国物語」と並ぶ世界三大ファンタジーとして世界中で愛されている。原作は全6巻。映画ではその一部しか語られず、その全ぼうを知るには、原作に触れるしかない。アースシーと呼ばれる世界を舞台に繰り広げられる魔法と冒険、そして、愛。その裏に隠された知られざるメッセージに迫る!
第1巻「影との戦い」ハイタカ少年が、偉大な魔法使いゲドへと成長を遂げる“エピソード1”
天才魔法少年が、謎めいた“影”を呼び覚ます
この物語は、アースシーの島々を旅するハイタカ(ゲド)が主人公。彼は、ゴント島で生まれ、幼いころから魔法の能力に優れていた。魔法使いオジオンのもとで修行を始め、師匠から真(まこと)の名“ゲド”を授かった。その後、さらに魔法を極めるため、ローク島にある魔法学院に進むが、そこで禁じ手の魔法を使い、死霊を呼び出してしまう。驚いた学院長は、自らの死と引き換えに死霊を沈めるが、現世に放たれた死霊は“影”のような存在。けっして消えることがないとされ、これを機に、ゲドは得体の知れない“影”に付け回されることになる。心身ともに傷つけられながらも、“影”と対決をすべく、その行方を追うゲドは、旅の途中、学院時代の友人カラスノエンドウと再会し、さいはての外海へと船を出す。やがて、再び“影”と対面した彼は、その驚くべき正体を知るのだった。
心の闇と向き合うことで、人間は、初めて成長を遂げる
1968年に発表された第1巻。後に大賢人“ゲド”となる少年ハイタカの成長を描いている。実は、ハイタカは、12歳にして魔法を使って異民族であるカルカド帝国の侵略者を退治してしまうスーパーボーイだった。それだけに、魔法使いとしての能力をいかに鍛え、使うべきか悩まされることになる。彼が戦うべき相手は、心の中にある“影=自分自身”だったのだ。ゆえに全編、ハイタカの自分探しが繰り広げられる。また、アースシーの世界では、真(まこと)の名が、重要な意味を持つと描かれるほか、魔法を使うことによって生じるリスクや限界にも言及。魔法にまつわる基礎ルールを知ることができる。
“影”に怯えるアレン王子の姿に、現代人の姿が重なる
映画で描かれるアレン王子の心理的成長は、原作におけるハイタカの心理成長に相当すると思われる。2人とも、自らの“影”におびえる点が共通しているが、あくまで、“影”が心の闇を象徴している原作に対して、映画では、アレン自身が“影”そのものに見える。生気を失ったその姿は、わたしたち現代人とも解釈できそうだ。また、映画の冒頭に出てくる「エアの創造」という詩(映画では一部)は、原作「影の戦い」に登場するもの。
第2巻「こわれた腕環」地下迷宮を舞台に、名前を奪われた少女の“呪縛からの解放”が描かれる
地下迷宮に閉じ込められたゲドは、1人の少女と出会う
カルガド帝国のアチュアン島。その島の太古の神々をまつる墓所に仕える、新たな大巫女(みこ)に選ばれた少女テナー。大巫女に選ばれたその日から、故郷や家族、名前さえも失うことが運命付けられていた。カルガド語で“喰らわれし者”を意味する「アルハ」を名乗り、聖地アチュアンの墓地を守る役目に就いた。そのころ、魔法使いのゲドは、墓地の地下に広がる迷宮にやって来た。アースシーに平和をもたらすエレス・アクベの腕環の残り半分を探すためだ。盗人として捕らえられたゲドは、アルハに対して、外の世界の素晴らしさ、そして、本来の名前であるテナーを取り戻すべきだと訴えかける。巫女として、ゲドを殺すか、それともテナーとして、新しい人生を歩むのか。アルハの気持ちは大いに揺れる。
本来あるべき“自分らしさ”を見失うことの恐ろしさ
1971年に発表された第2巻。巫女としてさまざまな教育を受け育った少女が、迷宮に迷い込んだゲドと出会うことで、自分の歩むべき道を探すストーリーだ。少女は名前を奪われ、アルハと名付けられるが、そのせいで、かつての記憶までを失ってしまう。そんなアルハの姿を通して、真の名(=本当の自分)を忘れることの恐ろしさや悲しさが伝わってくるのが、シリーズ第2弾の大きな特徴である。一方、いざ、名前(テナー)を取り戻し、自らの意思や欲望を奪われた世界から自由に生きることを決意すると、今度は、心の片隅に不安がよぎる……そんな心理描写のリアルさも、読者を引き付ける魅力といえる。
劇中、さりげなく語られるテナーの少女時代に注目!
第2巻「こわれた腕環」の真の主人公ともいえるテナーが、中年女性となって、映画に登場する。劇中、ゲドに関して「わたしを(アチュアンの墓地という闇から)光の中に連れ出してくれた人」と説明しているのは、第2巻のエピソードを指している。また、テナーが、自分自身を見つめ直しながら、アチュアンの墓地を捨て“呪縛から解放”を果たす姿は、父親という呪縛から逃れようとする映画のアレン王子に重なるといえるだろう。
第3巻「さいはての島へ」映画の原作はコレ! 大賢人ゲドとアレン王子が冒険の先に見たものとは?
アースシーの世界で、魔法のパワーが失われそうになる
ある日、北の地からアレン王子が、ローク魔法学院の学院長で大賢人となったゲドを訪ねてやってくる。魔法のパワーが世界から消えつつあるというのだ。早速、その原因を探るため、旅立ったゲドとアレンは、麻薬がはびこる退廃した南の町ホート・タウンで、ウサギと呼ばれる元魔法使いにだまされ、奴隷として売り飛ばされそうになる。辛くも難を逃れた2人は、オーム・エンバーという名の竜から、魔法の衰退には“ハブナーのクモ”という魔法使いが関係していると聞かされた。死の世界へと逃げ込んだクモを追い詰めたゲドとアレン。そこで明かされる、アースシーから魔法が消える理由とは?
モラルが崩れ去ったホート・タウンは、現代社会の縮図
1972年に発表された第3巻。大賢人ゲドとアレン王子が繰り広げる、知恵と魔法の冒険を通して、「生と死、光と闇、善と悪」といったバランスを失ってしまったアースシーの世界が描かれる。その象徴として登場するホート・タウンは、物事の良し悪しも分からなくなった人々(麻薬中毒者やウサギのような悪人)であふれかえっている。そんな町の様子が、モラルが崩壊しつつある現代社会の縮図であるのは言うまでもない。物語の根底に、「大切なものって何?」という、今だからこそ問いかけてくるメッセージがあるからこそ、第3巻「さいはての島へ」が映画化されたのだろう。
全6巻をコラージュしたような脚色、さてどう評価する?
映画『ゲド戦記』は、第3巻「さいはての島へ」を基にしているが、かなり大胆な脚色が施されたため、むしろ原作愛読者は戸惑うかも。例えば、アレン王子が父王を刺して国を飛び出すというキャラクター設定は、映画オリジナル。映画の世界をより楽しみたいのなら、映画のもう1つの原案である「シュナの旅」を読むことをオススメしたい。同著は、宮崎駿が「ゲド戦記」に影響され執筆した絵物語。ズバリ、名作です!
4~6巻へ続く>>
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