第8回 『野火』への道~塚本晋也の頭の中~
『野火』への道
大岡昇平の原作小説「野火」の映画化を思い立ってから二十数年。塚本晋也監督が遂に夢を実現し、映画『野火』が7月25日に東京・渋谷ユーロスペースほかで全国順次公開されます。劇場映画デビュー作『鉄男 TETSUO』(1989年)から常に独創的かつ挑発的な作品を発表し続けてきた鬼才がなぜ、戦争文学の代表作といわれる「野火」にたどり着いたのか? 製作過程を追いながら、塚本監督の頭の中身を全8回にわたって探っていきます。(取材・文:中山治美)
■『野火』公開
2014年9月の第71回ベネチア国際映画祭に映画『野火』で参加した際、日本公開の予定を尋ねられると、塚本晋也監督は次のように答えていた。「来年の終戦記念日(8月15日)あたりでの公開を考えています」。
つまり、約1年後。次の終戦記念日を意識するとおのずと翌年になってしまう。だがこれは、その間、塚本監督が俳優として、マーティン・スコセッシ監督『サイレンス(英題) / Silence』の撮影に参加するため、日本を約3か月間留守にすることを想定しての判断でもあった。しかし公開スケジュールはあくまで本人の願望であって、その時点では何一つ決まっていなかった。決定していたのは、2014年11月22日に開幕する「第15回東京フィルメックス」でオープニング作品として日本凱旋(がいせん)上映を飾ることだけだった。
映画を劇場公開するにあたり、製作会社は配給先を決定するのが先決だ。配給会社は預かった映画をコンセプトにのっとってポスターや予告編を作成して作品の装丁を整え、劇場まで送り出す。その上映劇場との交渉も重要な仕事だ。
塚本監督はこれまで、自身の映像会社「海獣シアター」で製作に携わってきたが、企画から配給まで行ったのは劇場デビュー作『鉄男 TETSUO』(1989)のみ。パンフレットやポスター作成に意見を言うことはあっても、他はしかるべきプロに任せてきた。しかし今回は配給のみならず宣伝も最後まで、自分たちで手掛けたいという気持ちが湧き上がってきたという。「今回は作品を産み生み出すまでがとても長く難しいものだったので、配給を他の方にお願いしようという気持ちにならなかった。今にして思えば、配給業務というものの全貌がわかっていなかったからそんな大それたことが言えたのですが(苦笑)」(塚本監督)。
製作に引き続き、配給・宣伝チームもボランティアが中心だ。彼らが初めに動いたのは、東京のメイン館探し。狙いは、自分たちが作品を大切に製作したように、劇場という空間と観客を手塩に掛けて育ててきたミニシアターだ。第1候補はかつてのミニシアターブームをけん引してきた東京・渋谷のユーロスペース。都内のミニシアターを回り、客席数、スクリーンの大きさ、音響設備の良さなどをチェックしてきた塚本監督自身が選んだ劇場だ。
ユーロスペースとの交渉に備え、6ページにわたる宣伝企画書を急きょ作成した。配給・宣伝に関しては初めてゆえ、先方に不安を抱かせないためだ。その内容は「客層はコアな塚本ファンのみならず、広く老若男女に」。注意したのは「一つの考えを押し付けるのではなく、本作をきっかけに、日頃避けがちな戦争についての討論が他者と生まれるような呼び掛け」など。このとき立てたコンセプトが、のちの宣伝活動の指針となっている。
その企画書を携え、意気込んで打ち合わせに臨んだ塚本監督だったが、同劇場の北條誠支配人は即座に快諾。それは、塚本監督が拍子抜けするほどだったという。北條支配人が振り返る。「断れる話ではなかった、という一点です。サスペンス映画を売れ、とか若者映画を売れとかならともかく、大岡昇平さんの小説の映画化ですから。たとえ素人集団でもこの作品なら乗りきれると、かなり楽観していました」。
次に名乗りを上げたのが、愛知・名古屋のシネマスコーレ。あの故・若松孝二監督が立ち上げた気骨あふれる映画館だ。昨年10月に韓国で開催された第19回釜山国際映画祭で『野火』を観賞した木全純治支配人は、渡韓していた塚本監督を見つけると真っ先に駆け寄り「ウチでやる」と断言。ただ、次に放たれた言葉は「自分の脳みそより、一気に飛躍した瞬間」(塚本監督)だったという。「全国にミニシアターが40館あるから、そこで来年夏に一気に公開したらいいよ。フィルムを1軒1軒回していた時代と違って、上映素材がDCP(デジタルシネマパッケージ)になったのだから、サーバーにインストールすればいい」。
現在、ミニシアターで上映される小規模の作品は、まず東京で公開して話題性や口コミが広がった頃に、順次地方でも公開するというパターンだ。これは映画会社が各地方都市に宣伝担当者を配置する余裕がなく、劇場スタッフに宣伝もお任せせざるを得ないという状況も関係している。塚本監督も当初は、東京から波紋を広げるように、地方での順次公開をイメージしていた。上映規模は、これまで自分の作品を上映してくれたなじみのある劇場で15館ほど。それが木全支配人の一言と、ユーロスペースの北條支配人からの「戦争映画は終戦記念日のある8月が勝負」というアドバイスもあり、2015年7月25日(土)に公開し、終戦記念日に話題をピークに持っていけるようにスケジュールを組むことにした。
幸い、2014年10月下旬に、全国のミニシアターや自主上映団体らで構成される「一般社団法人コミュニティシネマセンター」が定期的に開催している「全国コミュニティシネマ会議」が東京で開催されることがわかった。
地方の劇場支配人らと一度に会えるまたとないチャンスだ。塚本監督は宣伝企画書を持って懇親会に赴き、各劇場と直接交渉することにした。
参加者は、意外なゲストの出現に驚きを隠せない様子だった。しかし事情を知ると、「……劇場の支配人も来ていますよ」と次から次へと輪が広がり、気付けばこの一夜で20館以上の劇場が上映を快諾してくれた。作品は未見にもかかわらず、だ。参加者の一人であるシネマ尾道(広島県)の北村眞悟氏が振り返る。「名もない若手監督と同じように、塚本監督が自分の映画を映画館で上映してもらえるように営業していた。正直、泣きそうになりました」。
■塚本監督、全国行脚へ!
劇場は決まった。だが製作時同様、資金がないことは変わらない。ポスターやチラシの制作とそれを各劇場に送る配送料、映倫審査料金、マスコミ試写の会場費、etc……。日々、必要経費が出ていく。昨今はクラウドファンディングで資金を募る方法もあるが、製作から他者のお金に頼らないできた以上、ここで甘える訳にはいかなかった。「これまで、自分の作品がなかなかリクープ(製作費回収)されない理由がわかりました(苦笑)」(塚本監督)。
とりわけ、頭を悩ませたのはVPF(バーチャル・プリント・フィー)の問題だった。
映画界では米国からのデジタル規格統一化の波もあり2009年頃から急速に、デジタル化が進んだ。その際、映画館では高額なデジタルサーバーの導入が必然となったが、ミニシアターにとっては死活問題。公的助成を受けたり、市民から資金を募ったり、決死の思いで機材導入を実現した劇場もあった。 そして中には、デジタルシネマのサービス企業から機材をレンタルする道を選んだ劇場も。
それは、劇場側が機材とメンテナンスなどのサービスを受ける一方で、月々、レンタル料を返済していくという方法だ。その劇場側の負担を、フィルムからデジタルになって製作費も輸送費も軽減されたのだから配給会社も持つというシステムも確立された。それがVPF。サービス会社と契約している劇場で上映する際は、大作でも自主制作でも1作あたりの料金は同じ。ただし1日の上映回数や、全国公開日から1週目、2週目と公開が後になるほど、価格が下がっていくというシステムになっている。故にこれが、都市と地方での公開時期の差が生まれている要因の一つともなっている。
特に小規模作品においてVPFは大きな問題となっており、呉美保監督『きみはいい子』がその費用をクラウドファンディングで募ったことが話題となった。「何十億と興収が見込まれる『マッドマックス』のような大作と、自分たちのような自主映画が、規定により、同じ料金を払わなければいけないというのは、矛盾に満ちていると思わざるを得ないですね。ただ今回は自分たちの事情を鑑み、劇場の皆さまが上映回数や公開時期を調整し、負担が大きくならないよう配慮してくださいました」(塚本監督)。
宣伝も、資金がなければ派手な広告を打つことも、テレビCMを流すことも不可能だ。あるのは体力と熱意のみ。そこで行ったのが、「塚本晋也、皆さんに会いに行きます!プロジェクト」と題した全国キャンペーン。各地を有料先行上映を行いながら訪問しつつ、地元メディアへの取材も実施。観客の口コミと、メディアの露出を狙った一石二鳥の宣伝効果を期待したものだ。これは、自主制作・自主配給の大先輩である故・若松孝二監督方式を見習ったものだ。
キャンペーンでは6月25日を皮切りに、9月11日の長野・まつもと市民芸術館での上映まで全国39劇場を回る。各劇場の協力がなければ成り立たないもので、交通費などの経費は劇場側と配給側の折半。その分、少しでも経費を抑えようと、塚本監督は、時にバスやフェリー移動、はたまたカプセルホテルに宿泊しながら55歳の体にむち打って、行脚を続けた。迎える側の各劇場も、地元マスコミ全てを動員する意気込みでスケジュールを組み、かつ趣向を凝らした企画を立案した。
例えば、札幌・シアターキノと広島・サロンシネマでは、映画を観賞した中高生と塚本監督のティーチインの場を用意。日頃、戦争映画に触れる機会のない若い世代が『野火』を通して戦争と向き合い、今の自身の生活を振り返る機会となったようだ。
広島・シネマ尾道は「尾道らしい企画を考えたい」と、地元出身の大林宣彦監督と「~次代へ伝える戦争と平和~」と題した対談イベントを実施。大林監督も近年、『この空の花 長岡花火物語』(2012)、『野のなななのか』(2013)と戦争をテーマにした作品を果敢に制作しており、岡本喜八監督ら諸先輩がどのように戦争を描いてきたかという映画史的な視点から、今、自分たちが作品を通してすべきことまで、二人の話は途切れず、予定時間をはるかにオーバーした激論に、胸を打たれた観客も多かったはずだ。
同じく広島の福山駅前シネマモードでは、タクロバン福山交流支援センターのメンバーが上映会場に駆け付けた。福山歩兵第41連隊は、まさに『野火』で描かれているレイテ島でほぼ全滅している。その歴史を踏まえ、現在、福山とレイテ州タクロバン市は親善友好都市として提携している。このときの上映を機会に、地元の歴史を知ったという福山市民も多かっ た。「正直に言えば、まさかこんなに劇場を回るとは思っていなかったですが(苦笑)。でも、一人一人お客様の顔が見えるというのでしょうか。上映後のサイン会では『実は肉親がフィリピンで亡くなっているんです』と話し掛けてくださる方や、母が子を、子が親を連れて観にきてくださった方もいました。どこも今までの自分の作品ではお目に掛かったことのないような、幅の広い年齢層の方が劇場に足を運んでくださったのが驚きでした」(塚本監督)。
そして全国行脚は、これまで映画製作だけでは知ることのなかった劇場経営の実情を知る良い機会になったという。「自分が旅の記録をTwitterやFacebookでつづるものですから、劇場の方が率先して歴史とか説明してくれるようになりました(笑)。ミニシアターの最近の話題は、やはりデジタル化問題。機材を導入するのに、いかに皆さんが苦労したかを思い知ることとなりました。それでも自主映画がVPFを払うのは、やっぱりツライと思ってしまいます(苦笑)」(塚本監督)。
映画は8月11日現在、塚本監督の予想をはるかに超える全国49館での公開が決定している。観客動員は公開26日目で3万人を超えた。数百万人を動員している大作映画とは比較にもならない小さな数字だが、安全保障関連法案問題もあり、『野火』への関心が日増しに高まっていることも実感する。最近は「毎年夏に上映されるような映画になれば」という欲も出てきた。
「大林宣彦監督に言われた言葉が身に染みています。『必要に駆られて、今作ったから良かったのだよ』と」(塚本監督)。
構想から約20年。それは、塚本監督が『野火』を製作するためにだけでなく、受け入れる観客にとっても必要な時間だったのかもしれない。
映画『野火』は渋谷・ユーロスペース、立川・シネマシティほかにて公開中・全国順次公開
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