略歴: 1963年神奈川県藤沢市生まれ。高校時代は映画研究部に所属。1997年よりフリーランスのライターとしてさまざまな媒体に映画レビュー、インタビュー記事を寄稿。得意ジャンルはアクション、ミュージカル。最も影響を受けているのはイギリス作品です。Yahoo!ニュースでコラムを随時更新中。
近況: 今年1月には放送映画批評家協会賞(クリティックス・チョイス・アワード)の授賞式に出席。ゴジラを手にしていた山崎貴監督とも写真を撮っていい思い出に。ビリー・アイリッシュやトム・ホランド、マーゴット・ロビー、スピルバーグなど間近で遭遇する夢のような時間でした。
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その設定から『ブロークバック・マウンテン』と比較したくなるが、本作は西部劇らしく渇いた荒々しさの陰に、つねに甘くロマンティックなムードが漂い続け、そこがアルモドバルらしい。主人公たちのやけにカラフルな衣装もワインの赤と美しいコントラストを放ち、1910年のアメリカを舞台にしながら、どこかヨーロッパ映画の装いという印象。
2人の男の再会の喜び、ワインを酌み交わしながら甦る愛情、翌朝の冷静さを、イーサンとペドロが異様なほどスムーズな流れで演じ、惚れぼれとするほど。
ポルトガルのファドを、明らかに口パクで被せる演出など、映画としての「作り物」で濃厚な愛のドラマを奏でるスタイルも監督ならでは。
あの全人類的パニックのエピソード0を描くということで、スタート時のプリミティブな衝撃になるかと思いきや、大都会が舞台になったせいか、「音に隠れて音を出す」という巧妙な技があちこちで駆使されて、シリーズとしての進化に感心。静寂と轟音のコントラストも、過去2作以上の効果か。
余命を覚悟した人物を主人公にしたことで、「最後にもう一度、やりたいこと」が説得力をもって迫ってくる。演じたルピタ・ニョンゴは、冒頭、マンハッタンを眺める視線だけで、明日の命すらわからない切なさを表現していて、さすがだ。
カタルシスという点では今回、やや抑えめという気もするが、ハリウッド映画らしからぬ無情感な後味が、じつに妙。
新宿の高層ビルから地方都市の空港やバス停、さらにアパートなど住居の内装まで、アニメでここまで違和感のない日本の風景、その再現力に驚嘆する。
村上春樹の世界を新たな物語にするにあたり、3.11直後を舞台に選んだのが大正解。主人公の一人の曖昧な感情、生と死についてのスタンス、未来への微かな光…。村上小説に漂う空気感と地続きになる。あの文体と映像がフィットするのは、ちょっと不思議な快感。計算ずくだったら天才!
日本製の多くのアニメと違って、人物の表情変化は乏しめだが、そこも震災後の日本人の心情を捉えたようで生々しい。無関係な人物が透明化されるのは、今の日本社会を映したようでちょっと怖かったりも。
ほぼ聴き取れない速さで繰り出されるマシンガントークも、そこには本気で語りたい思いが凝縮されている…。ウーマンラッシュアワー村本のそんな個性と芸をメディアで見られなくなった残念感、そして日本のマスコミの忖度文化・閉塞への失望が、全編にじわりと浸みわたる。
コロナも相まって、村本の苦渋が深くなっていくプロセスを、気を衒った編集などは避け、そのまま提示しようとする。だから不覚な瞬間に、人間としてのコンプレックス、弱さ、そして邪な部分が発露して同目線で共感できたりするし、NYや韓国での「反応」は純粋に心に響いたりも。
村本のこれからについて、まとまりのない後味はあるものの、作品としての誠実さは残った。
こんなにも予想どおりに運ぶストーリーも今どき珍しいと、そこにまず感心。犬なんかに全く興味のなかった主人公→犬を愛するように、という流れが丁寧に描かれ、もったいつけた印象あるも、誠実だし、インド映画らしい上映時間を考えれば納得か。ブリーダーの闇という社会派メッセージもきっちりと。
犬映画を観慣れた人にも、チャーリー役のレトリーバーの演技は想定外かも。注射を嫌がる仕草、引き離される時の目、サングラス姿の笑み…と、エンドロールのオマケ映像に至るまで犬好きを悶絶させる瞬間が多発する。日本ではちょっと考えられない犬の行動があったりして、そこはアクセントに。チャップリンの引用、音楽と映像による高揚感も◎