略歴: 文筆稼業。1963年東京都生まれ。「キネマ旬報」「月刊スカパー!」「DVD&動画配信でーた」「シネマスクエア」などで執筆中。近著(編著・執筆協力)に、『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』(スペースシャワーブックス)、『寅さん語録』(ぴあ)、『冒険監督』(ぱる出版)など。
近況: またもやボチボチと。よろしくお願いいたします。
かつて世の中に“普通”に、Side-AとSide-Bの両面が存在していたことを思いおこさせる映画。もし二本立て興行が今も続いていれば、無謀なお遊びを許されてた“併映作”がハマっただろうなァ~。
舞台設定の前年、1985年に堤監督は『コラーッ!とんねるず』の演出を(変名で)担当、その一回目のオープニング、わざと音声を絞り、視聴者がボリュームを上げる頃合いを見計らって「バ~カっ!!」ととんねるずの大声で驚かせた。そういうノリの復活。ヒット曲の使い方はこれも、パロディと親和性の両面あり。Wヒロイン、木村文乃は80年代浅野ゆう子風を巧く再現しているが、前田敦子(のキャラ)は時代性を超えたものだ。
これはホームドラマのスタイルを借りた滋味深い“歴史劇”だ。表面はシンプルな日常劇に見えるが、底を掘るとまさしく海街のdiary、ゆるやかに動いてゆく諸行無常の“時のドラマ”が浮かびあがってくる。当然、小津安二郎の世界と接近するものの、吉田秋生の原作漫画は「四姉妹もの」の変形でもあり、母違いの妹が触媒となって四人四様、封印していた父への思いが波立つ。
つまり原作もそうなのだが、ホームドラマに革命を起こした山田太一、向田邦子の方法論を、是枝監督が血肉化した成果である。有機的に物語を起動させる数々の食の扱い、誰かと二人っきりになると四姉妹に思わず本音がこぼれる、という法則性(企み)に注目したい。
ヒロインの心の葛藤を擬人化し、コミカルに可視化した脳内エンタテインメント。頭の中で繰り広げられる脳内会議、自意識との対話を戯画的に綴る手法は、初期のウディ・アレン作品を少し感じさせ、ここまで空回りするコミックキャラを演じた真木よう子もとても新鮮だ。
どのパートも達者な役者を揃えているが、とりわけ誠実さの裏に静かなパッションを隠し持っている年上の編集者を演じた成河が素晴らしい。脳内会議のシーンがややクドいが、主戦場のTVドラマで『WATER BOYS』(1が傑作だった)から『ストロベリーナイト』まで多彩に、しかも映画でも確かなアベレージを残す佐藤祐市監督の手腕はもっと讃えられていいと思う。
義賊。いい響きだ。悪業三昧の為政者、金持ちどもから物品を盗み、貧民に分け与える義侠心ある盗賊。いわば、白土三平の『忍者武芸帳』に出てきた“影一族”のようなヤツラが乱世にとことんカラダを張る。オープニングにはあの名曲、終盤にはあの伝家の宝刀も飛び出し、マカロニ・ウエスタン萌えさせるが、骨の随は武侠映画にあるとみた。
中盤で話体がゆるむのがちと惜しいけど、そこを乗り切った後はイケイケ! 屠殺人上がり、2丁拳銃よろしく肉切り包丁をダブルで扱うハ・ジョンウのワイルドさ、義賊一味をひとりで怯ませる悪の武官、扮するカン・ドンウォンの(庶子としての哀しみを湛えつつの)ソードアクションに燃えに燃えた。
ポン・ジュノが初プロデュースを買って出て、シナリオにも参加、監督デビューを果たしたシム・ソンボはあの『殺人の追憶』の脚本家……ということで期待しすぎたか。いや確かに、極限状況へと追い込まれた人間の業(ごう)と性(さが)に肉薄し、ひとりひとりが壊れていくその怖さは十分感じられる。特に、傲慢さが最大値に膨れあがる船長役キム・ユンソクの阿修羅ぶりはさすが。
だが、不法移民を密航させる漁船に予期せぬカタストロフィーが訪れるや(ここは本当に驚かされた!)、そこからの船員たちの行動がそれぞれほぼ想定内でどうにも予定調和的に見えてしまうのだ。海の上の“密室”という閉塞感は、最後まで効果的なのだけれども。