ファインディング・ドリー (2016):映画短評
ファインディング・ドリー (2016)ライター2人の平均評価: 3.5
愛された記憶をたどるドリーの感動アドベンチャー
「ファインディング・ニモ」の忘れんぼうドリーを主人公にした続編は、かすかな記憶の断片をたどって生き別れた両親を探すドリーの大冒険が描かれていく。
笑いと涙のツボを心得ているのはさすがピクサー。中でも、愛された記憶こそが生きる糧になるというところがしっかりと描き込まれていて、思わず目頭が熱くなってしまう。フラッシュバックの使い方なんか実に絶妙だ。
と同時に、これはハンデを持つ者がそれを乗り越えていく物語でもある。なんで出来ないの?じゃなくて、ならばどうすれば出来るのかをみんなで見つけようと。誰もが完璧ではないからこそ、互いの欠点を長所で補いあえば、きっと不可能も可能になる。
ドリーがドリーを見つけて幸せになる
そういえば「〜ニモ」でも、ニモは片方のヒレが小さくて、学校の同級生には足の1本が他より短いタコの女の子がいたのだった。すでにそこにあったが、ニモの父親の子離れドラマの印象が強くて前面に出ていなかった、他の人とは少し違う部分がある子供がそれとどう向き合っていくか、そのとき周囲は何ができるのかというモチーフが、今回はドラマの中心に。記憶を短時間しか保持できないドリーだけでなく、視力が弱いジンベエザメの女の子や、自信がないせいで能力を発揮できないシロイルカの男の子など、問題を持ちながら前向きなキャラたちを描きつつ、水族館が舞台の楽しいアドベンチャー映画になっている。