さらば、愛の言葉よ (2014):映画短評
さらば、愛の言葉よ (2014)ライター2人の平均評価: 4
ひとり超然と自己主張するストレイ・ドッグ。
男と女が同じフレームにいる。やがて片方が右へと移動すると、右の視覚だけがパンしてそれを追い、左の視覚は動かない片方にとどまったままだ。本作を観る者は右目と左目が別個に遊離したようなこの奇妙な感覚を少なくとも二度味わい、個の認識に対して束の間疑念を抱くことになる。それがゴダールの意図かどうかは、例の如く膨大に引用される他人の言葉・他人の映像と解体された物語の中では判じ難いが、あの独特のタイポグラフィや、立体視できたりできなかったりする画に「面白い3D映画を観た」と思える出来なのは確か。画面に現れる本がソルジェニーツィン「収容所群島」で始まりヴァン・ヴォークト「非A-3」で終わるのはチト気になる。
3D技術にはこんなことも出来る!
「3D技術は、映画のために何が出来るか」を描く。だから出演者は犬でいいし、その犬がカンヌ映画祭でパルムドールならぬパルムドッグ審査員特別賞を受賞する。
大多数の3D映画は、3D技術を現実と同じような空間を表現するために使う。だが本作はそれ以外の、3D技術に可能なありとあらゆることを実験していく。そして、現実の奥行き感の再現ではない、現実とは異なる奥行き感、空間感覚の加工までをも試みる。
例えば、人物の顔のアップの、額から顎の先までの途方もない奥行きが映し出される。画面に映し出された複数の言葉が、重なって立体的に配置される。ここではハリウッド映画とは異質の刺激的な3Dが体験できる。