セル (2016):映画短評
セル (2016)ライター2人の平均評価: 3.5
クライマックスの光景が悪夢のような強烈さ
セル、とはスマホやケータイの総称。今やセルは、生活のためのツールを超えた、かなりとんでもないものになってしまっているのではないか---そんな疑念が、ストレートなメタファーで描かれていくのだが、主人公が最後に目撃する、セルによって変貌してしまった人間たちの光景がインパクト大。このクライマックスの光景と、冒頭の空港でのシーンのいかにもセル社会らしい冷たくデジタルな光景の、コントラストが凄まじい。
原作者スティーブン・キング自身が脚本にも参加、エンディングは原作小説とは違うとか。やはりキング原作、J・キューザック&サミュエル・L・ジャクソン共演の映画「1408号室」関連の小ネタもちらっと登場。
携帯電話に依存する現代人へS・キングからの大いなる皮肉
ある日突然、携帯電話の電磁波を通して人々が一斉に凶暴化し、やがて何かの大きな力によって思考をコントロールされ、仲間を増やすべく“感染”を拡大させていく。
スティーブン・キングが自らの原作を脚色。前半はほぼゾンビ映画の焼き直しに近いので、本国での大不評ぶりも分からなくはないのだが、しかし現代文明批判が顕著となる中盤辺りからは俄然面白くなっていく。賛否両論のクライマックスも、日常生活を携帯電話に依存する現代人への大いなる皮肉だ。
冒頭の血みどろ群衆パニックもなかなかの迫力だし、ステイシー・キーチも少ない出番ながら存在感抜群。肝心なところを説明せず想像に任せるのもキングらしくていい。