アマンダと僕 (2018):映画短評
アマンダと僕 (2018)ライター2人の平均評価: 4
「誰もが感動する」確率は、かなり高い
大切な誰かを失った後、その人の不在が、意外な瞬間に悲しみを誘うことがある。いつもの日常を過ごしているのに、何かのきっかけで激しく心が痛くなり、涙が止まらなくなる。その一瞬のシーンに象徴されるように、今作が描く「喪失」のリアルは、多くの人の心に素直に訴えることだろう。
窓から外を眺める描写を多用することで、「誰かを待ちわびる」心情を静かに伝えていく。アマンダと叔父のダヴィッド、それぞれの俳優の演技を過剰に走らせない……などなど、節度をわきまえた演出に感心。人生の悲哀がつねに横たわりながら、その人生を受け入れるささやかな幸せが並行して描かれ、観た後の心の温もりは長くキープされる。
その優しすぎる眼差し
前作『サマーフィーリング』との連続公開で、日本でグザヴィエ・ドランに次ぐスター監督になるのは確実なミカエル・アース監督。とにかく、その優しすぎる眼差しに驚かされる。愛する母をテロで失った娘と叔父が描かれる本作では、彼らの憎しみを描くのではなく、喪失感による日常、些細な感情の動きを切り取っていく。過度な描写やセリフを極力抑え、シーンの行間を読ませることで、観客はいつの間に主人公2人に寄り添うことに。確かに子役の芝居は卑怯だし、観光的でないパリの風景やエンディングに流れるジャーヴィス・コッカーのオリジナル曲など、確信犯的な部分も多い。それでも監督の術中にハマってしまうはず!