存在のない子供たち (2018):映画短評
存在のない子供たち (2018)ライター2人の平均評価: 5
これが人生なのか…。それでも映画は奇跡を生む
カンヌやアカデミー賞の同じ部門で賞を競った『万引き家族』と比較したくなる設定だが、是枝作品でいえば『誰も知らない』とシンクロする。子供たちと周囲の大人との明らかな分断や、一定の距離を保った優しき人たちの信頼関係、そして自分よりさらに弱い者への愛と献身……。これらは両作品のような切実な環境に置かれていなくても、静かに共感を誘うように描写され、主人公ゼインに対して、どうかこの苦難を乗り越えて希望の未来を見据えてほしいと、スクリーンを見つめながら祈らずにはいられない。つねに追い詰められ、悲しみを通り越した無表情のゼインが、一瞬だけ豊かに感情を表現するシーンの神々しさは、映画が生み出す奇跡である。
親子の愛情は自然発生するものではないのかもしれない
「生まれてからずっと殴られ、叱責され、悲惨な人生だった」と法廷で証言する少年ゼインの悲痛な叫びに胸が痛くなる。育児放棄の問題は日本でも話題になるが、中東のそれはやや状況が異なり、紛争や戦争による経済混乱や貧困、児童婚を肯定する文化など複雑な要因が絡み合っていることがわかる。愛情をまったく示さない両親と暮らしていたゼインが家出し、不法移民の母子と同居したことで親としてのあるべき姿を知り、自身も赤ん坊へ愛情を注ぐ。愛情を知ったからこそ両親への憎悪が増した少年に司法が助けの手を差し伸べたことに一安心。だが、あくまでも映画の中だけの話で、ゼインのような子供が世界中にいるのだと考えると辛くなる。