誰もがそれを知っている (2018):映画短評
誰もがそれを知っている (2018)ライター2人の平均評価: 3
ファルハディ監督が田舎ホラーを撮ってみた
結婚式の晩に起こった少女の誘拐事件を描くミステリーで始まりながら、そこにまつわる家族や友人たちの心の闇や過去が次第に明らかになっていく。ある意味、『彼女が消えた浜辺』の変化形であり、別荘地から村社会に規模を拡大した“ファルハディ監督版・田舎ホラー”といえる。133分の尺を飽きさせないさすがの演出で、それなりにイヤミスとしての見方もできる。とはいえ、海外市場を意識したのか、スペインを舞台に、主演にペネロペ&ハビエル夫婦を迎えたことがマイナスに働いた感もアリ。そして、なんだかんだ、堂々巡りな会話劇で終わっているなど、過去作と比べてしまうと、いろいろとモノ足りなさが残る。
ファルハディが新たな領域に挑戦
「別離」「セールスマン」など、政治的、社会的な要素を強く押し出した作品で知られてきたイランの名監督が、新しい領域に挑戦した。スペインの田舎を舞台にした今作にイランの登場人物は出てこず、話も基本的にはメロドラマ。結婚式の途中で少女が突然行方不明になるというスリラーだが、ストーリー展開そのものよりもパワフルなのは、少女の母を演じるペネロペ・クルス。彼女はやはりスペイン語の映画のほうがより光ると、あらためて感じさせられた。ファルハディの代表作にはならないだろうが、人というもの、小さな町の人間関係、その歴史を、深く、静かに見つめるドラマとしては良質だ。