よこがお (2019):映画短評
よこがお (2019)ライター3人の平均評価: 4
”日本のイザベル・ユペール”筒井真理子、繚乱
園子温監督『アンチポルノ』では筒井真理子の抜群のスタイルと肝の太さに驚愕。
本作ではさらに艶と狂気も加わって、微笑みの裏の魔性ぶりに目眩すら覚えた。
作品のテイストも相まって『エル ELLE』のI・ユペールを彷彿。
『淵に立つ』でも組んだ深田監督が、筒井に刺激を受けて脚本をしたため、さらに演出でどこまで要望に応えてくれるのかを挑んでみたくなったのも納得だ。
そして本作には時流に敏感な深田監督らしく、昨今のメディア批判も含まれている。
1つの事件に群がり、人の一面しか見ずに善悪を判断して報じる事の何と無責任な事か。
人間がいかに多面性を持っているかを、筒井の存在そのもので証明しているのだ。
戸惑いながら観ることで、不思議な快感に導かれる
冒頭、シーンが切り替わると、同じ筒井真理子が演じているにもかかわらず、名前も雰囲気も明らかに異なる女性が、そこにいる。観ているこちらは戸惑うが、しばらく観続けると、時間軸がシャッフルされているとじんわり気づくという、その「じんわり」した感覚が、今作全体の妖しい魅力である。他にも、わざと曖昧さが強調された登場人物の感覚、言動、嗜好が心を静かにざわめかせる。その効果は抜群。
日本映画でよく気になるのが、「この事件で、こんなにもマスコミや世間が大騒ぎするか?」という疑問。作劇として許容するか、違和感を抱くかは観る人それぞれか。そして演技力と、スクリーンを支配する力の関係も今作では考えさせられた。
何が彼女をそうさせたか
深田晃司監督としても指折りの意欲作ではないか。筒井真理子演じるヒロインは、ある意味『散り行く花』、もしくは『めまい』的。総体としては、監督が着想源と語るミラン・クンデラの小説『冗談』の巧みな変奏と捉えると理解が早いだろう。特に注目したいのは、転落劇の引き金(のひとつ)となる「冗談」が、クンデラでは政治思想なのに対し、本作ではセクシュアリティの問題に置き換えられている点だ。
作品としても様々な「よこがお」を見せる中、やはり女性映画の印象が強い。ある家族への闖入者という視座から『歓待』や『淵に立つ』の攻撃的な男性キャラクターを反転させると、社会の暴力に抑圧された“市子=リサ”の貌が浮かび上がる。