サマーフィーリング (2015):映画短評
サマーフィーリング (2015)ライター2人の平均評価: 4.5
三度めの夏、二度と会えない君
次作となる『アマンダと僕』同様、愛する者を突然失った人々のその後、がテーマになっているが、本作でも、やはりミカエル・アース監督の目線は優しい。そして、3年間、夏の風景だけを16mmフィルムで収めながらも、決してあざとさを感じない。こちらには、飛び道具である子供は登場しないものの、街からインスピレーションを受ける監督だけにベルリン→パリ→ニューヨークのあるあるなロケーションの巧さといい、次世代のエリック・ロメールらしさも全開(ヒロインの両親役もロメール組)。とはいえ、演出力の未熟さも含め、『ビフォア・サンライズ』好きなら、『アマンダ』より本作の方が響くかもしれない。
マイナーコードの夏の哀感
秀作『アマンダと僕』(6/22公開)で大きく注目されたミカエル・アース監督の、前作に当たる2015年の長編第2作。16mmフィルム撮影、大切な人を突然失った後の日々をどう生きるか――との主題が両作に共通しており、ウェルメイドな新作に対してこちらはラフなスケッチ風。ただそのぶん、独自の情感だけが結晶していて宝石の原石のような珠玉の味わい。
憂いを含んだ夏の空気と淡い光。ロメール組のキャストも参加しているが、作風は「喪のバカンス」といった趣。タヒチ・ボーイのアコースティックな音楽に加え、エンドロールに流れるのがベン・ワットの「ノース・マリン・ドライヴ」と言えば、雰囲気は伝わるのではないかと思う。