異端の鳥 (2019):映画短評
異端の鳥 (2019)ライター3人の平均評価: 4.7
荒廃した社会で人間はどこまで残酷になれるのか
第二次世界大戦下の東ヨーロッパ。ホロコーストを逃れて田舎へ疎開した幼い少年が、排他的な村人たちによって迫害・追放され、放浪する先々でこの世の地獄を目の当たりにし、やがて無垢な少年ではいられなくなる。モノクロの端正な映像美はタルコフスキー、戦時下の凄まじい暴力を描いたストーリーは『炎628』とも比較されるが、本作でぶちまけられる“普通の人々”の悪意と偏見と残虐性は『はだしのゲン』をも彷彿とさせ、社会の荒廃とモラルの崩壊によって人間がどれほど残酷になれるのかを改めて思い知らされる。日本をはじめ世界中で寛容と共感と良識が失われつつある今、これは決して目を背けてはならない警鐘とも受け取れるだろう。
硬質で端正なモノクロ映像による民話的世界
少年が旅を進めるのに従って、出来事は神話的民話的なものから、次第に現実的なものに変貌していくが、その残虐性は変わらない。人が簡単に殺され、人がそれを平気で見ている世界。少年自身もそれらを体験したために、自ら残虐性を発揮するようになる。
その内容の対極にあるべく、映像は常に徹底的に端正なまま。硬質で明度の高いモノクロ映像は、静的な美しさに満ちている。
まったく知らない個性的な顔立ちの東欧の俳優たちが演じる人々の中に、時おりハリウッド映画で見慣れたハーベイ・カイテルやスカルスガルドらの顔が混じり、この映画が創られた世界が、ハリウッド映画の創られる世界と地続きであることを痛感させる。
決して万人にはオススメできない、正真正銘の問題作
1度目は正視に耐えられず映画祭の上映中に席を立ち、それでも2度目に挑戦。観る側にも強いる苦闘を乗り越えた時、最後に不思議な達成感と余韻が訪れた。
ホロコーストを逃れた少年は行く先々で、彼と周囲に目を覆う厄災をもたらすが、描き方はホラーや戦争映画以上に生々しい。ここまで映画で観せていいのか、コンプラやモラルを問うおぞましさもある。しかしフィルム撮影にこだわった監督の重厚なモノクロ映像が、大半のシーンでは荘厳な美しさを放ち、そのギャップが異世界への扉を開く。そして残虐行為に加え、他者を排除する人間のサガを、現在の世界と照らし合わせて慄然。つまり普遍的。でも誰にでも「観て」と心から推薦はできない。