パリのどこかで、あなたと (2019):映画短評
パリのどこかで、あなたと (2019)ライター3人の平均評価: 3.3
誰かを愛するためには、まず自分自身を愛することが大事
「お洒落」とも「洗練」とも無縁な普段着のパリの街角。隣同士のアパートに暮らして日々すれ違いながらも、仕事のストレスや孤独、そして心の奥底に刻まれた過去の傷跡などに囚われ、それゆえに愛を求めながらも愛を恐れてしまい、お互いの存在に気付く余裕すらない男女の成長と悟りを描く。自分を愛せない人間に誰かを愛することなどできないし、すぐ身近にいる運命の人との出会いも逃しているかもしれない。そんな男女のささやかな心の軌跡を、さりげないユーモアを交えながら丹念に綴っていく語り口がとても魅力的。2人を秘かに繋ぐ名曲「ある恋の物語」に、数ある歌唱の中からグロリア・ラッソのバージョンを選ぶセンスも素敵だ。
クラピッシュ監督が描く、すれ違う男女の日常
隣のアパートメントに暮らし、同じ電車に乗り、同じエスニック食材店に通う2人のニアミス、すれ違い感。『ターンレフト・ターンライト』のような展開も期待もしてしまうが、スラップスティックにはならず、日々仕事のストレスと過去のトラウマと向き合っている、都会の男女のスケッチが淡々と描かれる。また、セラピー色が強いためか、あまりもどかしくもなく、『ワンダーランド駅で』とも違った仕上がりだ。しっかり、にゃんこも登場させている、来年60歳を迎えるセドリック・クラピッシュ監督。社会的なテーマを扱ってはいるものの、ミカエル・アースらと比べてしまうと、どこか枯れてきた感は否めない。
人と人との間のさまざまな距離の物語
人と人の間の距離の物語として見ると興味深い。大きな街の雑踏を行く無数の人々の流れが映し出され、映画はやがてそこで暮らすある人物ともう一人の人物の物語を紡いでいくのだが、彼らはずっとそうした人々の波の中で揺れ動いているので、実は隣の建物に住み、同じ商店を利用しており、すごく近くにいたり、隣にいることすらあるのに、互いの存在に気がつかないまま動き続ける。そういう人と人との距離のありようが、街で暮らすということのようにも見えたりする。大きな出来事は起こらず、彼らがそれぞれに日々の困難や楽しみを体験していく。映画的なドラマは起こるが、それがなくても、この"街の暮らし"の距離の感覚が心地よい。