エッシャー通りの赤いポスト (2021):映画短評
エッシャー通りの赤いポスト (2021)ライター3人の平均評価: 3.7
終盤への疾走感は監督らしいが、またも評価は分かれそう
園子温監督がワークショップに参加した俳優たちと作っただけあり、原石の輝き、恐れを知らない猛突進感がみなぎり、そこに監督の志向がストレートに結びついた印象。オーディション風景、エキストラの苦心、助監督の奮闘など、かなりカリカチュアされているとはいえ、映画製作の舞台裏もよくわかる。俳優たちの「顔」は確かに経験不足のもどかしさはあるものの、監督の心の炎が宿り、ラストに向けてどんどん強靭になっていくのがわかる。
ただ、いくつかの衝撃的な傑作とともに一人の映画作家の流れを振り返ったとき、原点回帰の、がむしゃらさ、ユーモアのセンスに最後まで乗りきれず、物語の一本筋が迷走している感もあり、評価は難しい。
園監督の原点回帰を、今どのように捉えるか?
後半パートで連呼される「人生のエキストラでいいんか!?」の台詞だけでなく、香港の雨傘革命のニュースが流れるなど、メッセージ性が強く、本作後に撮った『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』と比べると、園子温監督の色がだいぶ濃厚な一作。作品の売りでもあるワークショップで選抜された51人の役者に関しては、ぶっちゃけピンキリだが、メインの数名に関しては、やはり光るものを持っている感アリ。映画業界あるあるなど、かなり既視感があるうえ、刺激的にもちょっとモノ足りない。さらに、まさに園監督の原点回帰と思わせる描写も多く、その青っぽさが今どのように捉えるか?が評価の分かれどころだといえる。
桃源郷を見た
オランダの画家エッシャーの名が冠されたST.を「俺」の旗が通る。園子温とは「何度も原点回帰する作家」だと筆者は認識しているが、今回はワークショップという触媒を得ることで「極」まで突き抜けた。新人集団のきらめきが監督の細胞を活性化、いや初期化させたのか――。
「カメラは愛する奴に向けるんだろ!」(藤丸千)と、恋する8mm小僧のままのピュアネスやイノセンスが疾走する。業界風刺や騒乱も「祝祭」に包まれる。独自すぎる様式。フェリーニや寺山などの名も想起しつつ、レトロな郵便ポストが「夢」の可能性の回路となるA Sion Sono Film以外のどこにも存在しない世界。コロナ禍直前に撮影された奇跡。