最後にして最初の人類 (2020):映画短評
最後にして最初の人類 (2020)ライター2人の平均評価: 4
広大な宇宙に対してあまりにちっぽけな人類
スクリーンに映し出されるのは、旧ユーゴスラビアにある巨大な戦争モニュメントを撮影したモノクロ映像のみ。そのまるで古代遺跡のようであり近未来的でもある神秘的な映像を背景に、20億年先の人類から届いたメッセージを女優ティルダ・スウィントンが淡々と語っていく。アーサー・C・クラークにも影響を与えた古典的なSF小説の映画化。遥か未来の人類の歴史から浮かび上がるのは戦争や環境破壊への警鐘であり、広大な宇宙に対してあまりにもちっぽけな人類の脆さや儚さや愛おしさでもある。決して取っつきやすい映画ではないため見る人を選ぶとは思うが、そのシュールで端正なビジュアルにはある種の心地良さすら覚える。
催眠的な心地よさにただ身を委ねたい
音楽のような映画。音と映像にただ身を委ねているだけで、催眠的な心地よさの中でいろんなものが見えてくる。波のように揺らぐ音と、人類の終焉を目前にした未来の人類が静かに語りかけてくる声に耳を傾けていると、画面に映し出されている奇妙な造形物が、人類がどこかの時点でこれから造り出す文明の遺跡にも見え、かと思うと、何かの墓にも見え、それから、今後のどこかで変貌した後の人類そのものの姿にも見えてくる。静かに語られる、人類は宇宙の中でははかない存在であり、その宇宙もやがて終わるという言葉が見せてくれるイメージは、気の遠くなるような壮大さでありながら、すぐそこにある親しいもののようにも感じられてくる。