ドライブ・マイ・カー (2021):映画短評
ドライブ・マイ・カー (2021)ライター3人の平均評価: 4.3
「喪失と再生の物語」という言葉では収まらない179分
基本的な設定やプロットは同じながら、濱口竜介監督作おなじみの劇中劇を大きく絡ませるなど、自身の得意分野に持っていくことで、50ページ程度の短編小説を大胆脚色。ドラマパートとのバランスも、『親密さ』『ハッピーアワー』よりも絶妙で、目に見えて洗練さが分かるほど。もう一人の主人公「サーブ900」も、黄色のオープンカーから赤のキャンバストップに変更され、手だけの喫煙カットなど、より映画的な効果をもたらす結果に。さらには、黒沢清リスペクトも伝わる岡田将生が醸し出す不穏さや後半の無音カットなど、「喪失と再生の物語」という言葉では収まらないヤバさが詰まった179分といえるだろう。
人間の多面性と罪深さが静かに浮かび上がる
チェーホフやベケットを愛する寡黙な俳優兼演出家の夫、自由奔放で捉えどころのない脚本家の妻、そんな妻と密かに不倫をしていた人気俳優の青年。とつぜん妻が死亡してから2年後、地方の演劇祭で舞台演出を任された夫は、因縁めいた青年との再会、そして暗い過去を抱えた女性ドライバーとの出会いを通じて、胸の奥にしまっていたわだかまりと対峙していく。村上春樹の同名短編小説をベースとしながら、他作品や演劇作品の要素を自在に織り込むことによって、幾つもの顔を持つ人間の多面性をミステリアスに浮かび上がらせ、人生における後悔や罪の意識とどう折り合いをつけるのかを摸索する。その多層的なストーリーテリングが見事だ。
ざわつく不安感と、落とし所をわきまえた安心感の究極的合体
どんな方向へ物語が進むのか、まったくわからない、めまいのような心地よさ。村上春樹原作とほぼ同じセリフを使いつつ、映画ならではの、これ以上ない瞬間に繰り出される名言と、その間合い。
テーマを言葉で説明しづらいのに、日常と地続きの親近感。
あらゆる要素で濱口監督の真骨頂がフルに発揮され、映画的な心のざわめきが持続する。
すべて監督の計算どおりなのだろうが、本心を奥に隠し、その深い闇や炎まで静かに伝える俳優たちの表情によって、作品が有機的に変貌していく感覚も、濱口作品らしい。とくに今回は、運転手役の三浦透子、そのハードボイルド映画のヒーローのような無骨なたたずまいが、全観客のハートを射抜くだろう。