老ナルキソス (2022):映画短評
老ナルキソス (2022)ライター2人の平均評価: 4
当事者だからこその視点とディテール
高齢ゲイ男性の話をゲイであるトッド・スティーヴンス監督が語る「スワンソング」は優れた映画だったが、これも同様。当事者が書き、監督したからこそのディテール、視点と感情に満ちている。今は日本でもパートナーシップ制度が広まりつつあるが、ひと昔前の人たちはカミングアウトなど考えられなかった。老人と若者のふたりの主人公を描きつつ、若い世代のゲイ同士の間にも違いがあることを見せていくところが、非常に興味深い。前の世代はAIDSという恐怖に直面し、実際に友人を亡くしたのだということにも、もちろん触れる。トランスジェンダー当事者を起用した「片袖の魚」もすばらしかった東海林監督の今後がさらに期待される。
変化の過渡期に高齢ゲイの生き方を問う
同性愛者がまだ日陰の存在だった時代を生きた高齢ゲイが、オープンな若い世代のウリセンボーイと知り合い、年甲斐もなく夢中になっていく。パートナーシップ制度を家族ごっことバカにし、仲間同士で助け合う同世代のゲイを見下し、金で買った若者を恋人だと吹聴して自尊心を満たす老人の、拭い去れない劣等感と後悔と孤独。差別や偏見と闘わずに逃げた彼は、その事実から目を背けるように、闘った人々が勝ち取ったものを嘲笑うわけだが、ここでは家族の温もりを知らずに育ったウリセンボーイが、悩み迷いながらも自分の「家族」を持とうとする姿を織り込み、老人もまた新しい生き方を模索していく。変化の過渡期にある今を感じさせる作品だ。