シンパシー・フォー・ザ・デビル (2023):映画短評
シンパシー・フォー・ザ・デビル (2023)
ライター2人の平均評価: 3
男たちを包む夜の気配が暗さを増していく
夜だけが続く、一夜の物語。2人が乗る自動車は、ラスベガスの極彩色のネオン溢れる街路から、誰も歩いていない真っ暗な道へと進んでいく。撮影は『search/#サーチ2』のスティーヴン・ホラーラン。暗い夜道にスコット・ウォーカーやアラン・ヴェガの歌声が流れて、夜が妖しくいかがわしい。
登場人物は2人の男だけ、舞台はほぼ車内と途中で立ち寄るダイナーのみ、というミニマムな設定。2人がどんな人物なのか、そこで何が起きているのかは、ごく少しずつ明かされ、思わぬ事態が出現していく。ニコラス・ケイジのキレた演技は得意技だが今回も魅了されずにはいられず、負けじと応戦するジョエル・キナマンとの演技合戦も見もの。
自覚的な狂気はニコケイの“お家芸”だと改めて証明
自虐ネタでもあった『マッシブ・タレント』について「不安もあった」と本音を吐露したニコラス・ケイジだが、同作の成功による自信がここに充満。過去の“やりすぎ”演技もセルフパロディにして、狂気の男を余裕で、しかも制御ナシでこなすその姿に、ニコケイファンは歓喜の震えが収まらないはず。キャリアの集大成のごとく繰り出される、顔芸の数々も見もの。プロデューサーも兼任していることから、自らの判断で暴走してる様子が微笑ましい。
ターゲットにされる側の絶望と恐怖がぐんぐん上昇する意味で、巻き込まれ型スリラーの王道。被害者と加害者のボーダーが消えていく流れも、このジャンルらしいが、逆に想定内に収まったとも言える。