くちびるに歌を (2015):映画短評
くちびるに歌を (2015)ライター4人の平均評価: 3.5
主人公の性格描写は少々引っかかるけれど…
悲しい過去のせいで心を閉ざしてしまったとはいえ、それでも臨時教員たるヒロインの子供たちに対する理不尽な冷たさは大人気がなく、理由が明かされてもなかなか同情しづらい。そこまでキャラ設定を極端にする必要があったのか、と疑問にも感じてしまう。
だが一転して、少年少女のドラマはとてもいい。それぞれに複雑な家庭事情を抱え、子供なりに葛藤し迷いながら人生を模索していく姿を瑞々しく描く。中でも自閉症の兄を持つ少年サトルのエピソードは胸にグッと来る。その兄役・渡辺大知の演技がまた秀逸。
安易な気休めでお茶を濁さず、現実のやるせなさを噛み締めつつも、しかし希望の足音はしっかりと残す爽やかなラストも良い。
その回想シーンはトゥーマッチだけれども。
ひとりフェリーで島へ赴任してくる代用教員。過去の傷を持ち生徒と打ち解けないが、何かをきっかけに化学反応が…といった物語や、島の合唱部のメインメンバーがありえないほど可愛すぎたりとクリシェ的表現は目立つが、それでも見せきってしまうのがいまの三木孝浩の勢いだ。「自分は自閉症の兄(渡辺大知!)のスペア」だと『私の中のあなた』みたいな諦念を抱える弟(下田翔大、快演)はじめ、生徒にトラブルやトラウマはあるものの、陰湿ないじめなどはない爽やかさがいい。ただし快晴のない島の空や、あざとすぎるほどに的確なピント送りでメッセージを伝える撮影(『真夜中の五分前』で最高のキャメラを見せた中山光一)が何より快感。
ふたたび前進するために立ち止まる三木孝浩の脱青春アイドル映画
『陽だまりの彼女』で上野樹里の感性演技を封印し、『ホットロード』では能年玲奈に陰りを加えた三木孝浩監督は、新垣結衣から笑顔を奪い去った。屈託がないように見える少年少女も、小さな心に傷を負っている。“現代版『二十四の瞳』”のガッキー先生は、生徒と一緒に泣いてあげることはなく、彼らの事情に立ち入ろうともせず、ただ寄り添う。そして祈りの島・五島列島のやさしい風と共に、彼らをそっと包む。皆の心を解き放つのは、音楽。悲しみに打ちひしがれた者たちが、歌の力によって希望を取り戻し、一歩前へと歩み出す。三木孝浩の脱・青春アイドル映画は、ふたたび前進するために立ち止まり、生きていく喜びを確かめる珠玉の抒情詩だ。
三木監督、ガッキーより若手推し説
“ガッキー版『二十四の瞳』”として観れば、かなり王道な作りであり、クライマックスの合唱シーンは否応なしに盛り上がる。まさに万人&涙活向けといってもいい、品行方正な作品である。とはいえ、『アオハライド』で行くところまで行った三木孝浩監督作として見ると、やはり欲張りすぎた感もあり、ここは小休止といった感じ。何しろガッキーとの相性が微妙というか、彼女に対する愛があまり伝わってこないのだ。その代わり、部長役の恒松祐里や新境地を開拓した渡辺大知への愛が、驚くほどハンパない。だからこその、あの展開かもしれないが、あまりに多くのキャラクターを捌き切れず、持ち前の力量が分散されてしまったことは否めない。