素敵なダイナマイトスキャンダル (2018):映画短評
素敵なダイナマイトスキャンダル (2018)ライター2人の平均評価: 4
狂騒の時代を漂流した編集者の、虚無的だがエネルギッシュな生
狂騒の70〜80年代を漂流した伝説的なサブカル雑誌編集者の生き様。客観視した「熱」ではなく、憧れを手掛かりとした「郷愁」でもない。挫折と成功を繰り返し、何度でも立ち上がる、いかがわしくも虚無的な生が、まざまざと甦る。猥雑な街の雑居ビルの編集部から想起する記憶が濃厚な世代としては、他人事ではない生々しさ。爆発死した母の記憶が原点としてインサートされる構成によって“文学的”にさえ昇華された。実存感のある主人公・柄本佑はもとより、彼が思慕の念を抱く女性陣の演技が絶妙だ。妻=前田敦子、愛人=三浦透子、母=尾野真千子。次第に狂気の表情を見せるその様は、自由な男の陰に封じ込められた女性の叫びのようだ。
サブカルがサブカルだった時代の空気感を満喫
「写真時代」の編集長としてアラーキーや森山大道、南伸坊らを見出した伝説の編集者スエーの半生には正直、驚くばかり。母親の自殺で人生に対して虚無感が芽生えたのか、既成概念を覆す行動を続けるバイタリティはただもうパワフル。演じる柄本佑がまた、スエーのぶっ飛んだ言動を自然体で演じているので目が釘付けになる。最近のサブカルはおしゃれな感じがあるけれど、昭和から平成にかけてのサブカル雑誌はもっと泥臭いものだったこともよくわかる。真のサブカルはこっちだもん。本筋とは無関係な、スエーが妻(前田敦子、素晴らしい好演!)の助けを借りながら自宅で版下を切り貼りする姿に懐かしさを覚えました。