息子のままで、女子になる (2021):映画短評
息子のままで、女子になる (2021)ライター2人の平均評価: 4
それでも既に変化は起きている
トランスジェンダーと一口に言っても、当然ながら人によって夢も希望も性格も個性も生き方も様々。これはその中のひとりであるサリー楓さんに焦点を当て、その長所も短所もひっくるめた人間臭い素顔に鋭く迫りつつ、「ありのままに自分らしく生きる」ことの意味と困難を多角的に見つめていく。世界的に見てもトランスフォビアはホモフォビアよりもさらに深刻で、日本でも「性自認」の意味すらまだちゃんと理解されているとは言い難い状況。好き嫌いに関係なく誰もがお互いを尊重しあえる社会の実現には程遠いものの、それでも既に変化は起きていることを感じさせる。社会の一員として誰もが無関係ではいられないテーマだと思う。
多様性重視の時代でも生きづらい現実は打破できる?
トランス女性としての体験や考えを積極的に発信しているサリー楓や彼女を取り巻く人々の思いが伝わり、LGBTQ +に対する理解が進まない理由も考えさせられた。幼少期からずっと男女の役割を刷り込まれると、固定観念を打破するのが難しくなるのだね。多様性が重要と言いながら行動が伴わない人が多い社会で生きる楓の辛さも伝わるが、映像を通して娘となった息子の率直な思いを知った父親が絞り出す言葉は重い。父娘関係を表す就職祝いの名刺入れは泣けた! LGBTQ +関連のさまざまな活動を率いるリーダーたちも頼もしく、未来は明るいと信じたくなる。そして、楓の悩みの原点を鋭く指摘する、はるな愛の慧眼に感動した。