ファンタスティック・フォー (2015):映画短評
ファンタスティック・フォー (2015)ライター3人の平均評価: 3
未熟な若者たちの挫折と再起を描く青春ドラマとして見るべし
スパイダーマンと同じく、やたらとサイクルの早いリブート版。全米での評判は芳しくないようだが、さりとて失敗作の一言で片付けるには惜しい作品だ。
未熟な若者たちの軽率な行動が取り返しのつかない事態を引き起こす、という展開はまさしく『クロニクル』。ジョシュ・トランク監督は最終版の出来に不満を示しているようだが、それでもなお彼の作家性の刻印は明らかと言えよう。
確かによくよく振り返ると極めてスケールの小さな話だし、単純明快な’05年版に比べると暗くてスーパーヒーロー映画らしい爽快感には著しく欠ける。しかし、未熟な若者たちの挫折と再起を描く青春ドラマとして見れば、少なくともその人間描写に嘘はない。
誰が観てもジョシュ・トランクの映画です。
まだ記憶に新しい『ファンタスティック・フォー:銀河の危機』から8年余りでキャスト全取っ替えの新シリーズを始めたことが分からないが、前作『クロニクル』の設定は『ファンタスティック・フォー』×『AKIRA』だから、今回のジョシュ・トランク監督の抜擢は当然。もちろん仕上がりも、友情アリ、葛藤アリの青春映画になっており、ヴィランの暴走もしっかり描かれている。だが、妙にポップだった前シリーズに比べると、キャストの見た目の地味さは否定できないし、ドラマパートに比べてアクションパートの比重が少ない。つまり、アメコミ映画にあって当然のものが明らかに欠落しており、それが全米で酷評の嵐となった理由といえるだろう。
「クロニクル」の監督らしい新たな設定に注目
低予算の「クロニクル」からこの大作に抜擢されたジョシュ・トランク監督は、スタジオのせいで思い通りの映画が撮れなかったと発言して批判もされているが、かつてデヴィッド・フィンチャーが初の大作「エイリアン3」を撮ったときも同じような不満を発言してた。トランクは、今後に何を撮るかが勝負。本作には彼だから出来たであろう、大胆なアイデアが多数盛り込まれている。スーパーパワーを持つことの意味は、4人各自で異なる。敵の目的は人類滅亡ではなく、人類は巻き添えになるだけ。家族は血縁だけではない。スーは音楽を好み「音楽はパターン認識よ」と言うが、オリジナル脚本にはもっとこの種の描写があったのではないだろうか。