凶悪 (2013):映画短評
凶悪 (2013)ライター8人の平均評価: 4.4
異常な事件を再現する地に足の着いたキャスティング
まずキャスティングで勝負アリ。オウム真理教事件、和歌山毒物カレー事件、尼崎事件etc…世間を震撼させた事件は、言葉は悪いが、アクの強い登場人物たちがより大衆を惹きつけてきた。実話をもとにした本作も、リリー・フランキーとピエール瀧の凶悪コンビのみならず、適材適所に味のある人がいる。アルコール漬けにされるジジ・ぶぅの見事な痛められっぷり。そのジジ・ぶぅを保険金目当てで売る妻役・白川和子のくたびれっぷり。ピエール瀧の恋人・松岡依都美のハスッパぶり。実は、実際に事件が起こった場所はもろに筆者の故郷なのだが、間違いなく彼らのような人がいる。隅々まで目の行き届いた配役が、信じ難い話を説得力あるモノに変えていると言っても過言ではないだろう。
そこは前作『ロストパラダイス・イン・トーキョー』に続いて白石和彌監督のこだわりを感じる部分だ。太いモノに巻かれない(by「あまちゃん」)その姿勢を、今後も保ち続けて欲しいと願うばかりだ
この飛躍力こそが映画の醍醐味のひとつ!
深い闇の奥へ、奥へと絡めとられてゆく雑誌記者。言うなれば、暴君カーツ大佐を仕留めようとし、平衡感覚を失っていくウィラード大尉の“旅”を描いたあの『地獄の黙示録』みたいな映画。「獄中の死刑囚の告白」という厄介な物件に顔を突っ込み、そのウラ取りに血道を上げていくうちに、世の裏も表も反り返ってグッチャグチャになるわけである。
充実のキャストで白熱の“人間ドキュメント”を映しだした白石和彌監督。この力ワザは大いに称えられるべき。むろん、各スタッフ陣も(とりわけ、映画のもうひとりの主人公たる“荒涼とした風景”を現出させてみせたベテラン美術監督・今村力の仕事ぶり!)。
単なる事件の再現に終わらず、その語り口、場面構成はかなり大胆だ。パズルのピースを行儀よく並べるのではなく、記者がピースを手にとり、繋ごうと試行錯誤するときに脳内に流れるシナプスの感触を“画”にしようとしているのだ。野郎どもの禍々しいコントの底部に確かなベース音を響かせる女性たちのドラマにも注目したい。結果、凄惨な入り口からは想像もしなかった出口へ──と観る者は拉致られるのだが、この飛躍力こそが映画(の醍醐味のひとつ)だと思う。
ジャンル映画を超え老いを問うヘビー級スリラー
原作をノンフィクションのまま映画にしても面白いジャンル映画になったと思うが、そこに主人公である記者のドラマというフィクションを加えたことで、映画はグッと骨太になった。
借金しか残せないまま老いてゆく者を、保険金を懸けて殺害する劇中の犯罪者たちは、まさにタイトルどおりの凶悪さ。笑いながら人を殺す凶行の描写は“人なんて簡単に死んじゃうの”というセリフそのままにドライで、寒々しさを覚えずにいられない。スリラーの濃度を強く感じさせる部分だ。
一方で、痴呆症の母の世話を妻にまかせきりの主人公がいて、その介護に疲れ果てた妻がいる。肉親とはいえ手に余る老人の死を願うことは、“凶悪”と紙一重。にもかかわらず、正義を盾にとって事件の真相を徹底的に暴こうと奔走する主人公の狂気。それらを目の前にして、老いとは社会に必要とされなくなることなのだろうかと、ふと考えをめぐらせてしまった。高齢化社会の暗部が見えてくるという点で、重く、恐ろしく、なおかつ歯応えのある力作。
誰もが心の中に秘めた異常性をあぶり出す
闇に埋もれた殺人事件を取材するジャーナリストが直面する人間の残虐と狂気。主犯は言葉巧みに他人を操って犯罪を教唆する狡猾な地上げ屋“先生”と、暴走し始めたら手の付けられない狂犬“須藤”。この2人がさも楽しげに凶行を重ねていく様は背筋の凍るようなおぞましさだが、本作はそうした彼らの異常性を浮き彫りにしながら、現代日本の殺伐とした裏風景を克明に描いていく。こいつらのような存在を産み出し、さらにのさばらせたものとは何なのかと。
だが本作の真骨頂は、そうした犯罪とは無縁に思える平凡な人々の中に眠る心の闇までをもあぶり出していく点にあるだろう。取材にのめり込む過程で正義や使命感という大義に我を見失っていく記者・藤井、痴呆症の義母を一人で介護しながら己の中に芽生える悪意と葛藤するその妻。我々の誰もが心の中に異常性を秘めているのだ。
非常に重苦しく胸をえぐられるほど凄惨な物語ではあるが、決してセンセーショナリズムに走ることなく、人間の本質を包み隠さず捉えようとする真摯な姿勢に頭が下がる。昨今の日本映画界で、これはとても勇敢な挑戦だ。
未解決殺人という磁場に山田孝之が吸い寄せられ変容していく
丹念な取材でジャーナリズムの凄味を見せつけ、警察を動かし社会正義に寄与したノンフィクションを、見事に2時間8分のフィクションとして凝縮させている。時間軸を解体して真相に迫っていく構成力もさることながら、原作には書き込まれていなかった、第三者であるはずの取材者・山田孝之の変容していく人物造形とその表現力が、映画を成功に導いた。
保険金殺人をめぐる事件そのものはありきたりな三面記事の類だが、歪な人間関係が炙り出され、現代社会の構図が露わになる。殺伐としたロケ地が闇を深めていく。野次馬的な視点ではない。狡猾なリリー・フランキーと狂気のピエール瀧は嬉々として人を殺めるが、暴力描写は戯画的ではなく、どこか虚無的だ。それは白石和彌のモラルであろう。
単なる社会派ミステリーとして消費させない厳粛な空気が、全編を覆う。比肩して語るべきは『カポーティ』であり『ゾディアック』だ。未解決殺人を探る取材者は、事件という磁場に足を踏み入れ、犯人という強力な磁石に吸い寄せられる。日常を侵蝕されるばかりか、心に変調をきたしていく。人間が本来もつ悪意の目覚めにも迫ろうとする演出が、余韻を残す。
監督独自の一歩踏み込んだ問題提起が効いている
当然ながら脚色はなされているが、映画の核心となる犯行の再現部分は原作のノンフィクションの描写に忠実で容赦ない。凄惨な犯行過程が淡々と明かされて行く実録ドラマには、思わず目を覆いたくなる。とりわけ獄中とシャバを演じ分けるピエール瀧と薄ら笑いを浮かべたリリー・フランキーの”先生”に身震い! 現代社会の病巣を浮き彫りにする、まさに”凶悪”としか言えない事件のてん末は観る者を心胆寒からしめる。
ところが、予想外に映画独自の展開となる終盤に見応えがあった。裁判でジャーナリストが対峙する人間の心の闇の深さは、ある意味前述の犯行シーンを越える衝撃度。果たして、”凶悪”が真に意味するものとは何なのか? そして人間とは、誰もが自分は無縁と思っている一線を越えてしまう可能性を等しく潜在的にはらんだ、なんと危うい生き物なのか。犯罪との対比として描かれる、ジャーナリストの認知症の母親と世話に疲れた妻の関係性の中にこそ、むしろそうした感覚がリアルに胸に迫りくるものがある。
白石和彌監督独自の一歩踏み込んだ問題提起があって初めて、本作は社会派エンタテインメントとして優秀な作品と成り得ているのだ。
恐るべし、異業種からの刺客コンビ
このテの題材で、『冷たい熱帯魚』のプロデューサー(&製作・配給会社)。だからこそ、でんでんからの、リリーフランキーね…なんて、変に勘ぐると、痛い目に遭うこと必至。観る者の胸をグサッグサッと突き刺してくる、社会派実録ドラマなのだから。
前作では自身のマジメさが足を引っ張っていたようにも思える白石監督だが、今回はそんなマジメさがより発揮できる題材。とはいえ、昨今の日本映画界でここまで骨太な作品を撮るにあたり、常に戦っていたことが伺え、これぞ意欲作という言葉がふさわしい。
もちろん、不敵な笑みを浮かべるリリーは鳥肌モノだが、ヤクザとしての豪快さと死刑囚としての弱さをしっかり使い分けた“俳優・ピエール瀧”には驚愕(「あまちゃん」の大将を微塵も感じさせない!)。今回ばかりは、この2人に押され気味の山田孝之だが、久々の抑えた演技で“やっぱり!”な芸達者ぶりを披露。
ちなみに、鑑賞後は『ゾディアック』のときと似た疲労感を伴うので、取扱要注意である。
実はオーソドックスで真面目な「ザ・日本映画」
紛れもない力作。荒涼とした郊外に潜む猟奇犯罪というモチーフは『冷たい熱帯魚』と重なるが、作風はもっと真面目でオーソドックス。日本論的な骨格を持ったミステリー仕立てで、かつて山本薩夫や熊井啓らが撮っていた社会派エンタテインメントの系譜だと思う。
監督・脚本は『ロストパラダイス・イン・トーキョー』でデビューした白石和彌。共同脚本は同作でも組んだ高橋泉で、メイン三人の関係を核とした群像劇の体裁は前作の延長だが、良い企画に出会って格段にジャンプした。ジャーナリストが“魔”(正義感と背徳的な悦楽の両義性)に取り憑かれていく展開はありきたりだけど、そこに日本社会の諸問題をパズル的に組み込む構成は練れている。特にキリスト教の「贖罪」の欺瞞をさりげなく突くあたり、『ある朝スウプは』で新興宗教を扱った高橋のカラーか。最近は『ソラニン』『100回泣くこと』など売れっ子職人化している彼の「本気」を久々に見た感じ。
そして特筆すべきはリリー・フランキーの怪名演! コレと『そして父になる』(9月28日公開)で本年度の助演男優賞は確実かも。そのスペシャルな“ウサン臭い色気”に星一つ追加!