クロワッサンで朝食を (2012):映画短評
クロワッサンで朝食を (2012)ライター3人の平均評価: 3.3
銀座で大ヒット!宣伝とキャスティングの勝利
映画の日に劇場を覗くと、立ち見も出る盛況ぶりだ。おフランスの香り漂うオシャレなタイトルとジャンヌ・モローがにこやかにパリの街を歩くポスタービジュアルに惹かれた人も多いだろう。だが原題は、「パリのエストニア人」。恐らくフリーダは、旧ソ連時代に亡命し、帰るに帰れなくなったのだろう。小難しい性格ゆえパリで孤独な日々を送る独居老人だが、同郷人の家政婦によって封印していた過去と今を見つめ直す。高齢化社会を象徴する、タイトルからはおよそ想像もつかぬシビアな話だ。しかし、作品をどう調理して客を引き込むかは映画会社の腕の見せどころ。良い意味で裏切られた。
小品を引っ張るのはやはり、大御所ジャンヌ・モロー様だ。そもそも合唱団の一員に過ぎなかった彼女がパリで高級アパートに住み、年下の彼にカフェを経営させているなんて、どんな努力と技を駆使したのか。おまけに、いまだ現役。そんな女性を説得力持って演じられるのは彼女しかいない。キャスティングの勝利とも言えるだろう。それにしてもこの大ヒット、彼女が一番驚いているに違いない。
浮かび上がる異邦人の孤独
ソビエト連邦が解体されて22年。かつてエストニアはその構成国の一つだった。本作は現在のエストニアからパリへやって来た控えめな中年家政婦アンヌと、ソビエトの占領で祖国へ帰る機会を逸したままパリで生きてきた気位の高い老婦人フリーダの心の触れあいを描く。しかし、決してパリのお洒落なライフスタイルを楽しむ映画なんかじゃない。若い頃に鉄のカーテンの向こう側から憧れていたパリで気難しい同郷人のフリーダに悪戦苦闘するアンヌ。そんなフリーダを頑なにさせるのは、異国の地でも相変わらず祖国の価値観が抜けない現地在住の同胞たち、見て見ぬふりしようとも避けられない老いの問題、そしてなによりもフランス流の奔放な生き方を身につけても結局は異邦人でしかない自分自身なのではないだろうか。いくらパリジェンヌとして振舞ってみても、やはり断ち切れぬ祖国とのつながり。淡白な演出のせいなのか、2人が理解を深め合っていく過程が今ひとつ大雑把に感じるものの、今なお消えない冷戦の記憶と異邦人の孤独を描く部分は興味深い。
女として”生涯現役”の感覚に恐れ入る
老婦人フリーダと介護兼家政婦アンヌの心の交流。と聞けばハートフルな人間ドラマを想像するが、はっきり言ってそんな生易しい話ではない。これはフリーダとアンヌの、女対女の真剣勝負の物語なのだ。フリーダの暮らしぶりは、家にいる時でも常にシャネル・ファッションに身を包み(劇中の衣装はモローの私物)、これぞパリジェンヌの鏡。そんなおしゃれで知的で恋多き女性には、いくつになっても年若い恋人がいて当然なのがフランス流、なのか。演じるジャンヌ・モローは撮影当時は恐らく84歳だったと思われるが、フリーダがかつての恋人にしなだれかかるくだりは女としての業を感じさせてブルっ。女って、すごい生き物なのだ!