アクト・オブ・キリング (2012):映画短評
アクト・オブ・キリング (2012)ライター5人の平均評価: 4.6
カメラに撮られる事、語る事の意義を考える
ドキュメンタリーは、ある事象をありのまま記録する際に用いられる手法だ。本作の場合、大量殺人犯が英雄視されている国が存在する信じ難き事実を我々に突きつける。さらに加害者に史実を疑似体験させることで、彼らが長年押し殺していた罪悪感を呼び起こし、自責の念に駆られるまで追及する。この展開をどこまで監督が予想出来たかは分からないが、カメラを持った第三者の介入がトラウマを解放するという心理学的な効果があることを実証した稀有な例だろう。
結果本作が世界的に知られたことによってインドネシア政府が、大量虐殺の事実をようやく認めたという。ドキュメンタリーの力を感じずにはいられない映画史に残る衝撃作である。
恐ろし過ぎて、笑って泣けてしまう狂気のドキュメント
“虐殺”を正義と感じる人はいないと思うが、世界にはそれを誇る国があり、誇る人がいる。まず、そんな事実にゾッとせずにいられない。
自分が携わった虐殺を嬉々として再現してみせる老人たち。その狂気から凄みがにじむ一方で、彼らがあまりに突き抜けているのでユーモアさえ感じさせる。同時に、撮影の過程で生じる登場人物の心的な変化には人間ドラマも。ヘビーな展開の中にも、それらのサジ加減が活きる。
恐ろしい人を写し出しているのに、どこかファニーで、僅かながら人間味も。そういう意味では、『ゆきゆきて、神軍』にも通じるものがある。
傷口に波の花、な一種の拷問ムービー
イデオロギーとは関係のない差別意識や欲にかられて民衆虐殺し、英雄となった愚連隊をホメ殺す手法が斬新。撮影スタッフはきっと、彼らへの嫌悪感を隠すのにさぞや苦労したはず。下卑たジジイが蛮行を嬉々と再現する姿を見るだけで戦慄する。PTSDって何?みたいな虐殺者の佇まいは、言い方は悪いけれど、「生きるために殺す」原始人のよう。でもこの勝負は製作側の勝ち! ジジイたちは虐殺を英雄行為と信じ込むことでごまかしていた心の傷をえぐられ、己が他人に与えた痛みを感じざるを得なくなる。傷口に塩を塗りこめたような、まさに精神的な拷問なのだ。失われた命は取り返せないが溜飲は下がる、なんて考えた私も残酷かも。
人間の獣性をグロテスクに露出させる
国家・軍部のもとに行われた殺人の責任を問う――。同種の主題を持った『ゆきゆきて、神軍』が過激なアクション映画だとしたら、こちらは静かに魂のはらわたをえぐっていく。人間の内部を攻めるだけに殺傷力は本作のほうが上かも。
この映画が仕掛けるのは相当な知略だ。大量虐殺者に自分が行った蛮行を演じさせる。一見、根本敬言う処の“イイ顔”した親父が無自覚の獣性を剥き出しにする。そこにオッペンハイマー監督は人間の原型・裸形を見るのだ。目線はまさしくヘルツォーク的であり、頭脳値の高いヤコペッティのようでもある。
「演技」という認識の回路が人間存在を根底から引っ繰り返す様はマジ戦慄。もはやサルトル『嘔吐』の域!
映画史上、最もおぞましい作品
かつて行った残忍極まる行為を嬉々として再現するおっさんたち。自分たちの妻子が被害者役となり恐怖のあまりパニックを起こしても笑ったままだ(殺人手段の模範が米製ギャング映画だったというのも示唆的)。イデオロギー優先の記録映画では「世界のどこででも起こり得ること」的部分を強調しがちだが、そんな良心派ぶったおもねりはほぼ無い。むしろ「欧米人から見た第三社会の劣った事例」とも受け取られかねない下卑た行為を悪意が窺えるくらい率直に映し出す。これはまさに製作総指揮に名を連ねるヘルツォークの精神そのものだ(『フィツカラルド』を観るべし)。ちなみに「えずく」という肉体反応がこれほど意味深く捉えられた映画はない!