オマールの壁 (2013):映画短評
オマールの壁 (2013)ライター3人の平均評価: 4.7
パレスチナ発・国際的スター誕生の瞬間
テーマはもちろん、アダム・バクリの存在が作品の魅力を10倍にも20倍にも輝かせている。
分断する壁を軽々と超え、秘密警察の追跡を屋根をつたい、路地を駆け抜けながらかわす。
その彼を子供たちは投石で、大人は抜け道を案内して応戦する。
バクリの躍動する体を追いながら、同時に社会情勢も見せる。その秀逸な演出とカメラは『007』シリーズも超える緊迫感と迫力だ。
だが語が進みにつれ、封じ込められていくバクリの動き。
それは自由と希望の喪失のように見え、何度同様の虚しさをパレスチナ人は味わってきたのだろうと思いを馳せる。
一方で、パレスチナ映画とバクリの将来性の高さは十分示した。
芸術の世界に壁はない。
現実を世界に知らしめるため「エンタメ」に自覚的な傑作
パレスチナの現実を伝える政治ドラマでありながら、狡猾なイスラエル秘密警察のやり口を暴くサスペンスアクションであり、若者たちの今を映し出すラブロマンスでもある。主人公が壁を越えるシーンが繰り返し登場し、その勢いによって心情変化が表わされる場面が秀逸だ。高さ8メートルの壁は土地を分断するだけでなく、人々の心を引き裂いている。物語の鍵を握る脇役がヴィトー・コルレオーネ(マーロン・ブランド)の声真似をする場面は、世界標準としてのハリウッドへの敬意であり、娯楽作であろうと自覚する監督のサインであろう。深刻なテーマを商業的に成立させることは、悲劇を世界へ広く知らしめ、共鳴させることにつながる。
現代の『灰とダイヤモンド』、くらいの強度がある青春映画
例えば『ロミオとジュリエット』なら「壁」は明白で、こちら側と向こう側、というふたつの世界を境界線で阻む障害物となる。しかしパレスチナ自治区の分離壁は、両側とも同胞の町だ。政治、恋愛、友情……本作ではあらゆる局面で“どちらがどちらか判らない「壁」”が立ち現れ、常に裏切り者(スパイ)の存在が疑われる。
イスラエルとパレスチナの混沌とした実相を、これほどスリリングに体感させてくれる映画は初めてではないか。同時にこの多層的で不安定な世界像は、おそらく我々にも地続きだ。自爆テロに向かう青春を扱ったアサド監督の05年作『パラダイス・ナウ』の衝撃に対し、今作は共感の回路を痛切な詩情を伴って延ばしてくる。