ニンフォマニアック Vol.2 (2013):映画短評
ニンフォマニアック Vol.2 (2013)ライター4人の平均評価: 4
この4時間の徒労感は爽快ですらある。
主人公ジョーも齢を重ね、いよいよ本格的にシャルロットへと演者も移行する後篇。しかし「色情狂」としての生きかたを貫こうとする彼女にはさまざまな悲喜劇が到来する。Vol.2で最も時間が割かれるのは鞭打ち師とのプレイで、J.ベルの職業サディストがなかなかいい(途中『アンチクライスト』のセルフパロディ含む)。“ソラリス”コラールやロ短調ミサなどキリスト教的背景を持つバッハの音楽が後篇も目立つが、一番強烈なのはトーキング・ヘッズ! いきなりジョーが「裏社会に入る」という唐突すぎる展開を印象づけるとともに、この音が鳴り響いてからのなし崩し感は半端ない。結局タルコフスキーとの相関性ははっきり示されませんが。
またも観客にタイマン勝負を仕掛けてきたお騒がせ監督
“かまってちゃん“な監督は、実に厄介だ。毎度、タブーに抵触する題材に挑み「ねぇ、見て!」と観客にいじってもらう事を至福とする甘えん坊。韓国のキム・ギドク監督と精神構造は似ている。だが両者の作品とも、我々がひた隠しにしている欲望を掻き立て、感情を揺さぶってくれるからクセになる。本作では、性に対する飽くなき探究心と、突き詰めた向こう側にある世界。リミッターを振りきれない凡人にとってはファンタジーか?悪夢か? 個人的には著名人を使ったコメディとして受け止めた。
主演は、懲りずにラース映画3作目となるゲンズブール姐さん。新作『サンバ』の布石とも言えるシーンもあるので、合わせて観賞すると楽しさ2倍。
セックスは広義の性に変わる!? 歯応えのある解脱編
多くの方が指摘しているとおり本作は『Vol.1』とともにセットで見ないことには意味がない。セックスを突き詰めた果てに行き着く先の衝撃は、通して見てこそ伝わるものだから。
『Vol.1』がセックスを題材にした『不思議の国のアリス』ならば、『Vol.2』はある意味、解脱編。SMに迷い込みセックス依存症に悩むヒロインの心の旅は、もはや快楽の範疇に収まらず、性差をも超えた超人思想レベルに。
シャルロット・ゲンズブールが演じた主人公の“ジョー”という中性的な名も、ここにきて初めて意味が通る。トリアーにしては軽やかな語り口は『Vol.1』と同様だが、続けて見てこその歯応えは十分だ。
ラース・フォン・トリアーはやっぱり一筋縄ではいかない
ラース・フォン・トリアー監督流の人を食ったようなギャグが炸裂。ヒロインが「イモの袋のように」と言うと画面にイモの袋が映し出され、「虎のように」と言うと虎が現れる。唐突に出現する、フィボナッチ数列。ヒロインが聞き手に自分の過去を語るという枠組みなのだが、聞き手が途中で「ウソだろう」と言うと、ヒロインが「話は信じるのと信じないのでは、どちらがおもしろいの?」と詰問して聞き手を黙らせるという具合。
そんな形で語られる物語は、エロティシズムとは関係がない。これは、ニンフォマニアという疾患を通して描かれる、中毒について、身体のままならなさについて、それらと共に生きるということについての物語なのだ。