セトウツミ (2016):映画短評
セトウツミ (2016)ライター5人の平均評価: 3.8
一緒に川べりで語り合いたい!でも違う話題で。
池松壮亮×菅田将暉。
いまノッてる2人だから、”しゃべるだけ”でも見入ってしまう。
前にも後ろにも進めない男子の、吹き溜まりの青春。
流行の壁ドン映画の真逆をいく脱力系に、
メーンストリームとは違った場所で異彩を放ち続けてきた彼らの、密かな反骨精神を感じる。
だからこその複雑な感情も。
この主演2人に大森立嗣監督の組み合わせなら、
原作コミックの力を借りずとも、オリジナルでまた違った挑戦が出来たのではないかと。
同じロケ地での約10日の撮影に75分というミニマムな制作体制と、豪華布陣。
これが日本映画の現実なのか。新たな可能性なのか。
筆者もあの川べりに座って、一緒に語り合いたくなった。
いつの時代も変わらぬ青春の日常を切り取った絶妙な会話劇
学校の放課後に近所の河原でつるむ2人の平凡な男子高校生。その、ひたすらとりとめのない無駄話を全8話構成で描いた作品だ。
しょうもない言葉遊びに無邪気な恋バナ、さほど深刻でもない家庭の悩みに日々の不満。四季の移り変わりを背景に交わされる、なんともまったりとしたユル~い会話劇。しかし、その行間から若者たちの豊かな感情の機微が伝わり、かけがえのない青春の日常がリアルに浮かび上がる。
なんといっても、関西弁のボケとツッコミで喋りまくる池松壮亮と菅田将暉の、実にイキイキとした言葉のキャッチボールが素晴らしい。普通の人を普通に演じる。その難しさをさらっと自然にやってのけるところに天賦の才を感じる。
ムダ話してるだけなのに、高揚感に包まれる75分
『ディストラクション・ベイビーズ』の共演は肩透かしだったが、今の日本映画を面白くする若手演技派2人の『デスノ』前哨戦といえるバトル。台本はあれど、まるで池松壮亮×菅田将暉の「スジナシ」を観てるかのような高揚感に包まれる。「アメとムチ」「神妙な面持ち」「フシがある」といった、小演劇的な言葉選びに思わずニヤニヤだが、ここまで関西弁のリアルな会話が飛び交いながら、まったく漫才っぽくに見えないのは、『まほろ駅前』シリーズで脱力系バディものを確立した大森立嗣監督の力量といえるだろう。十年前に「木更津キャッツアイ」メンバーで福田雄一が演出した名作Vオリ「THE3名様」のブラッシュアップといえる仕上がりだ。
"ストーリー"から解き放たれて
映画は、いわゆる起承転結のストーリーがなくてもおもしろい。この映画はそれを証明してくれる。
基本的に、2人の男子高校生が放課後に同じ場所にたむろして、ただダラダラと話をするだけという大胆な構成。大きな出来事は何も起こらない。それでいて、2人の微細な気持ちの動き、お互いへの思い、自分を取り巻く状況に対して感じているものが見えてくる。そして、高校生という時期に誰もが抱く、一種のばかばかしさ、中途半端さ、無力感、焦燥、希望といった普遍的な思いが画面から伝わってくる。微妙な空気を表現できるのは、ストーリーではないのかもしれない。そんな気がしてくる。
ダウンタウンへの手紙・実践篇
すぐ連想したのが5/13放送『ダウンタウンなう』で菅田将暉が読んだ感動的な手紙のこと。そこで菅田はダウンタウンへの深い愛とリスペクトを表明しつつ、「架空の世界を作り、その世界で行われる日常を演じる」際に、トークを自然に伝えながら笑いを生み出す技術とセンスについて優れた演技論を述べたのだった。
二人の男子が基本「喋るだけ」の本作は、その手紙の実践篇だと思った。声フェチキラーぶりを存分に発揮する池松壮亮のブレない受け。加えてほぼ「現れるだけ」で強度のある脇キャスト陣。監督の大森立嗣は75分の緩急を演出し、いつもの河原で過ごす放課後をかけがえのない青春の場所や時間として印象づける。やたら高品質だ。