太陽のめざめ (2015):映画短評
太陽のめざめ (2015)ライター2人の平均評価: 4
もはや世界各地の問題は、我々の身近な問題。
私見では95年の『憎しみ』以降、仏映画の先端は移民社会が抱える諸問題を扱う「グローカル」な領域に突入していった。更正施設が舞台の『太陽のめざめ』はまさにそのラインだが、興味深いのは“良質の伝統”を象徴するような大女優C・ドヌーヴが出ている事。この20年で“新しい仏映画”はいよいよ成熟の段階に入ったのかもしれない。
実際、本作はウェルメイドな走行を取りつつも「型」を超えてザラザラした現実に対応しようとしている。新星R・パラドが、自分の怒りや暴力性をコントロールできない少年を鮮烈に演じ、『名もなき塀の中の王』のJ・オコンネルなども想起。脇のキャストも皆真摯で素晴らしく、リアルに胸を打つ秀作だ。
無教養→貧困のスパイラルを断ち切るのは愛だ!
勉強よりも遊びに夢中になって10代で妊娠。教育も資格も仕事もなく、育児もまともにできない毒母の息子マロリーが問題児になるのも当然。まさに無教養→貧困のスパイラルで、マロリーの怒りや荒れは格差社会を実感する身としても他人事で済まされない感じ。新人ロッド・バラドの尖ったナイフのような演技が光る。触ったら怪我しそうな雰囲気を醸し出している。切れっ切れの少年が少女と出会って内に秘めていた愛の存在に気づく展開に新味は無いが、マロリーの変化を見て心の底から安堵するのはやはり監督の演出が丹念だから。いわゆるワルを “正しい道”に導く女性判事と保護司の「優しさ」に希望が見えた。