君の膵臓をたべたい (2017):映画短評
君の膵臓をたべたい (2017)ライター2人の平均評価: 3
13年ぶりの『セカチュー』体験
映画化にあたり、12年後の“現在”を追加したことで、よりラノベ臭強めの『セカチュー』という印象が強まった『キミスイ』。既視感あるシチュエーションに、ヒロインに東宝シンデレラ出身の浜辺美波を持ってくるところまで狙い通りだが、すでにめんまや咲など、難易度が高いキャラを自身の声でモノにしてきた浜辺だけに、今回もやはり彼女の声がアクセントになった仕上がりに。そして、今回も肉まんくん、いや、ガムくん演じる矢本悠馬の笑顔がいい。ただ、主人公とヒロインの親友との関係性を12年間引っ張った意図が見えないなど、原作好きを納得させる脚色になっておらず、三木孝浩監督作の劣化コピーにしか見えない画作りも気になる。
儚さが同居する浜辺美波の笑みが牽引。セカチュー的回想は夾雑物
ツッコミどころ多き難病純愛ものではある。しかし、死を前にして生の煌めきを表現する16歳のヒロイン、浜辺美波の魅力には抗しがたい。彼女の笑みには儚さが同居し、悲しみや怖れを押し込めて気丈に振る舞う自然な演技が、終始牽引する。受け身に徹した木訥な僕=北村匠海とのコントラストによって、柔らかな光の下、月川翔監督は切なく幻想的な映像詩に仕上げている。ただし、原作にない12年後の僕=小栗旬による回想は、同ジャンルの金字塔“セカチュー”のエピゴーネンに堕した感が強い。内向的な僕が、関係性が希薄な生徒に対し、彼女との大切な想い出を語り聞かせるリアリティなき構造。本作の回想は、感動を薄める夾雑物にすぎない。